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プレアデス手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ(http://twitter.com/cs_ker)。中の人は『放課後のプレアデス』推しだが、これ関連の記事は稀。ちなみに、「プレアデス手芸部」とは、アニメ『放課後のプレアデス』をモチーフにして、編み物や刺繍等のハンドメイドでなんやかんや作ろうって活動です。twitterでの検索タグは、 #プレアデス手芸部 よりどうぞ。

障害とは?ハンディとは?右手の無かったおじいちゃんの話

思うところがあって色々書いたので、残しておこうと思います。

自分の祖父は自分が生まれる前から右手が無かったし、祖父が事故の事を子供向けにおちゃらけて話すのを聴いて、子供心に「そういう(手がちょん切れちゃう)事もあるのか。自分もあるかもな」なんて思ったりしてました。後天的に人間どうなるか分からない、というこの考えは、今に至るまで一切変わってません。自分が所属するコミュニティが小さいうちは、世の中のおじいちゃんは、結構な頻度で手がちょん切れてるもんだと割と本気で思ってました。自分にとっての現実は"右手の無いおじいちゃん"だったからです。しかし、保育園、小学校とコミュニティの分母が増えるにつれ「アレ?そうでもないの?」なんて思ったりもしました。ただ、根っこの価値観は変わらなかったし、それで良いと思ってます。
ここで大事な事って、それ以前に、自分は祖父を技術者として見ていた事にあると思ってます。あらゆる工具が家にあって、それを使う所を見てたし、自分もそれを真似ていたし。結果的に自分に色んなスキルが身に付いた事には、祖父の影響はとても大きいです。

差別云々を本気で教育したいなら、そういう後付けの価値観が刷り込まれる前に、子共心が自然と学ぶ他無いんじゃないかと思います。最近は、保育園や学童でもハンディのある子が一緒に通う事も増え、そこで一緒に過ごす子共達は、分け隔て無く他者に接するとも聞きます。ここでいう分け隔て無くという意味は、ハンディがあるから特別視するという事じゃないんです。悪いと思ったら喧嘩もするし、良いと思ったら褒めて真似るし、困ってると思ったら助け合うという、そういう普遍的な事です。障害とかハンディとか、そういう言葉を知ってる事が大事じゃないんです。子供達は"得意"とか"苦手"とか、そういう、誰でも誰にでも使える良い言葉を知ってるんです。

障害とかハンディとか、そういう言葉が悪いという話も有りますが、これは半分正解、半分間違いだと思います。そもそも障害って何?と聞かれた時に、ちゃんと答えられる人ってそんなにいない気もします。ただ、子供達の言葉を借りるのであれば、"ある種の苦手が一定の水準に達している状態"ではないかと思います。この一定の水準とは、それこそちょっとした手作業が苦手、というモノから、生命の危険があるモノまで様々です。この点において、障害があるから、ハンディがあるから、なんて言葉で一括りに出来るものではない、という事が言えるのではないかと思います。では、どうすれば良いのか、子供達が"得意"とか"苦手"とか、そういった言葉を使って、上手い事折り合いを付けてるのを見習うべきだと思います。彼らは、ハンディを抱える友達だから助けるんじゃなくて、困ってるから助けるんだし、障害を抱えた友達だから何か出来た時に褒めるんじゃなくて、素直に感心したから褒めるんです。