この世界で今年もまた誕生日を重ねられる、それはとても幸せな事であり、ましてや、日々ヒュージと相対して命を散らすリリィにとってそれは尚の事だった。そして今年はその特別な日に憧れのお姉様と一緒にいられる、これまでに迎えた誕生日の中で一番幸せな一日になる、そう高鳴る胸の響きで目を覚ました私は、きっと何の疑いも無くそう思っていたーーー。
『葡萄畑の匂い』
ーーー今日が自分の誕生日だと予め伝えてあった訳でも、一緒に過ごしましょうと約束をしていた訳でも無かった。どうして私は、今日も昨日と同じ様に、お姉様といつものラウンジで“ごきげんよう”と挨拶を交わし、取り留めない話題の中で“実は今日、私の誕生日なんです”と、そう伝えられると信じて疑っていなかったのだろうか?今日もいつもの長机とパイプ椅子に三人で座り、レギオンの欠員を埋めるべく道行くリリィ達にビラを配りながら、私はそんな事を考えていた。
「おかしいよね?私、一人で勝手に舞い上がっちゃって」
「そんな事ありません。夢結様がいけずなだけです。よりにもよって今日不在にしているなんて間が悪いにも程がありますわ。大方、どこぞのレギオンの遠征に助っ人か何かで着いて行ったのではなくって?」
「でも、今日は遠征や炊き出しに出ているレギオンは無いみたいです」
昨日のまな板をペタペタと指で鳴らしながら二水ちゃんが答えた。
「そうなの二水ちゃん?」
「はい。それに変です。夢結様、昨日梨璃さんのデータを横目でジッと見てたのに」
「え……?」
「おばかっ!」
「え、あ、ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ……」
「そんな全然、二水ちゃんのせいじゃないから謝らないで。ね?」
お姉様は、今日が私の誕生日だと知っていた。だったら、お姉様は私に黙って一体どこに行ってしまったのだろうか……?
「梨璃さん、今日はお休みにしません?」
楓さんがそう言った。面倒だから、というわけではなく、私が目に見えて落ち込んでいるのを気遣っての事だった。
「でも、それだとお姉様が帰って来た時に……」
「ですが、その様な浮かない顔ではせっかく興味がお有りという方まで逃げてしまいますわ」
「案外そうでもないかもです」
そう言った二水ちゃんの視線の先には、この間レギオンへの加入を断られた梅様、と、その背中に隠れている鶴紗さんがいた。
「よっ、梨璃。調子は……、あんまりみたいだナ」
「梅様……、ごきげんよう」
「ご、ごきげんヨー……、コレ、慣れないんだよナー……」
確かに梅様は、たとえ相手が後輩であっても砕けたやりとりを好んでいた。
「ごきげんよう梅様、ついにわたくし達のレギオンに加入する決心をなされたんですか?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどサ」
「……でしたら何しにいらしたんですの?」
「お前それ先輩に向かって……、まあ良いカ。梨璃、夢結の事で落ち込んでるんだロ」
「……はい」
私達が話を切り出す前にお姉様の事をストレートにぶつけられ、私は少々面食らった。
「夢結はそういうの凄く不器用だからサ、まあ、わかりにくいし不安になるよナ」
「はい……、えっと、梅様?」
頷いてから、一体何に対して、と疑問が沸々と湧いてきた。
「お前が心配してるような事は何も無い。だから待ってろ」
「鶴紗さん?」
それまで黙って梅様の後ろに隠れていた鶴紗さんが、この時だけはひょっこり顔を出してキッパリと言った。
「じゃ、夢結が帰ってきたら知らせてくれよナ。っと、お、猫だ」
「にゃ?どこです梅先輩!?」
私が疑問を投げかける前に、二人はそんな事を言いながら猫を追いかけて行ってしまった。
「え?梅様っ……、行っちゃった」
「あの二人、絶対何か知ってますわ」
「でも、悪い事じゃなさそうです」
お姉様と親しい梅様はともかく、関わりが無さそうな鶴紗さんまで何か知っているようだったのはどういう事なのだろうか?私が考え込んでいると不意に楓さんが立ち上がって言った。
「あーもうじれったい。行きますわよ梨璃さん」
「楓さん、行くってどこに?」
「聞き込みですわ。梨璃さん、当たって砕けろ、ですわよ」
その言葉はあの時に私を奮い立たせた言葉だったーーー。
「ーーーという訳なんですが、お姉様の事、何か知りませんか?」
「夢結様の事……。私、夢結様も凄く可愛いところあるなって思った」
「そうですわね。わかりにくいですけど」
「夢結様って困った事があるとそっぽ向いちゃうんだね」
「あれで結構子どもっぽいところありますよね」
こうして自分以外の誰かがお姉様の魅力について話しているのは、なんだか嬉しいようなこそばゆいような、それとも、悔しいような……。
「えっと……、そういう事じゃなくて」
「ねぇ梨璃」
「?」
「夢結様が戻られたら、私達も梨璃さんのところに伺ってもよろしいかしら」
「それは勿論だよ。でも、お姉様が……」
「梨璃さん」
俯いた私が顔を上げると、二人の優しくて真っ直ぐな瞳が私を見ていた。
「大丈夫だから」
そんな二人の口振りは、何かを諭すような、言い聞かせるような、それでいてどこかいたずらっぽいものだった。一方で、意図して要領を得ない返答をされているような、それでいて急に核心を突くような。みんなが私の知らないお姉様を知っている、お姉様を信じている。それなのに私は、お姉様の事を何も知らないーーー。
「ーーーやぁ梨璃さん、レギオンのメンバー集めの方はその後どう?あ、まさか私をレギオンに勧誘しに来たとか?でもごめんねー、今はちょっと身体が足りなくて。ん?今はじゃなくて年がら年中かこれは失敬」
確かに、もしも百由様が加入してくれたら凄く心強い。しかし、さすがに一つのレギオンで独占して良い人とは思えなかった。それは、今も百由様の隣で手伝いをしてるミリアムさんが私達のCHARMを見てくれるようになってから、より一層実感している事だった。
「百由様、そのうち自分そっくりのガイノイドでも作りそうな勢いじゃからの」
「良いわねそれ。同時に義体を操るのは二体までが限界らしいから、やっぱ自律稼働してくれるのが理想よね」
「百由様、わしがおらんと部屋の片付けもままならんからの……。今朝なんぞわしが来るまでガラクタの下に埋まっとったし」
「うんうん、可愛い後輩にはとても感謝しているわ。ありがとうグロッピ」
この二人のやりとりはいつもこういった調子で、良い意味で互いに遠慮が無くて、まるで本当の姉妹のような距離感だなとつくづく思った。このやりとりを見ているのもそれはそれで飽きないし気が紛れるかもしれないが、それでは話が進まない。そして、それ以上に二人を見ていると寂しい気持ちが募ってきたというのが正直なところだった。
「あの、夢結様が朝からずっといなくて……、何かご存知ないですか?」
二人は互いに目配せし、やや間を空けてからこう言った。
「あー……、すまんがわしは心当たりが無いのぉ。百由様も」
「夢結なら梨璃さんの誕生日プレゼントを探しに出掛けたわよ」
「え……?」
「バラすんかい!!」
何のために目配せしたのかとミリアムさんが百由様に抗議しているが、私はもう内心それどころではなかった。
「サプライズは相手が幸せな気持ちになればこそよ?梨璃さんが夜までこの調子で、暗い顔して夢結を出迎えたんじゃ意味無いでしょ?」
「う……、それはまあ、そう、じゃの……」
それを聞いた楓さんがため息をついていた。
「お二人が知っていたという事は……」
「ちびっこ二号だけでなく、あの方々も漏れなく共犯者ですわね」
「そういえば皆さん、梨璃さんの誕生日を知ってる様な事をおっしゃってました」
「大方、夢結様が梨璃さんの誕生日の事を相談して回っていた、という所ですわね」
「散々な言われようじゃが……、まあ、そういう事じゃ」
お姉様は私のために……、でも、どうしてそこまで……、私は一緒にいられるだけで、それだけで良かったのに。
「あの、百由様、夜まで……って、お姉様は一体どちらまで?」
「それこそサプライズだから教えない。梨璃さん、まだ夢結の事が心配?」
お姉様の事が心配……?そう、私は自分が寂しいと思う以上にお姉様を心配していたんだ、と、ここに至ってようやく気が付いた。
「百由様、お姉様がいつも首から下げているペンダントの事はご存知ですか?」
「梨璃さんはあれが何か知ってるの?」
お姉様がもし私に話していないなら、それは自分口からは言えない、という事らしい。
「はい……、先日のヒュージとの戦いの後で美鈴様のお墓参りに行った時、そこでお姉様から聞きました。あのペンダントは誕生日に美鈴様から頂いた物だって」
そして、その中には美鈴様の写真が収められている事も……。
「そうね……、夢結がシルトの誕生日と聞いてまず思い浮かべるのはあのペンダントの事でしょうね。まあ、要するに気負い過ぎるのね」
「気負い過ぎる?」
「そ、どんな物なら喜んでくれるか、何を贈ったら思い出に残るか、そういう事を深く考え過ぎちゃって目の前の本人を通り越して相手の事をもっと知らなくちゃって空回りして、……って喋り過ぎたわね。反省反省」
「百由様それって」
お姉様が今どこにいるのか、私の想像が本当ならどんなに嬉しい事だろうか。
「梨璃さんだって夢結の事を知ろうとしていたでしょう?あなた達お似合いだと思うわ。いえ、よく似てるのかしらね。嫌味じゃないのよ?本心でそう言ってるわ。あとは夢結に直接聞いてね」
「百由様、ありがとうございます」
「どういたしまして。さて、そういえばどうしたの?さっきからみんな黙ってぼーっとしちゃって」
言われてみれば、みんな一様に呆けていた。
「いえ、百由様大人だなぁって思って」
「見直しましたわ」
「案外しっかりしとるんじゃのう」
「あんた達……、今まで私の事を一体全体どう思ってたのよ!?」
その光景も、自分が悩んでいた事も、なんだかおかしくて。
「あ、梨璃さんまで!」
「やっと笑ってくれました」
「憂いを帯びた横顔も素敵ですが、やはり梨璃さんには笑顔が一番ですわ!」
「夢結様が戻ったらわしも忘れず呼ぶんじゃぞ」
「はい!勿論です!」
今日は今までずっと、落ち込んでいた私の気持ちにみんなを巻き込んでしまっていた。みんなのおかげで私はようやくお姉様を出迎える準備が出来た気がしたーーー。
ーーー遅い時間にラウンジで騒がしくしているわけにはいかないという事で、楓さんが自室を提供してくれた。“本当なら梨璃さんと二人っきりの愛の巣になる予定でしたのに”と口では言っていたが、みんなへの連絡はしておくからと私を送り出してくれた。
とはいえ、外出許可を提出しないと私達は自由に出歩く事は出来ないので、私は学園の正門の前でお姉様の帰りを待ったーーー。
ーーーそうして暫く待っていると、お姉様は梅様と鶴紗さんに連れられてトボトボといった様子で帰って来た。
「あ、梨璃!あー……、梅達が先に夢結を出迎えちゃったナ」
「お帰りなさいお姉様!何も言わずにどっか行っちゃって、私すごく心配したんですからね!?」
「え?あ、そ、そうだったかしら?ごめんなさい。一言断っておくべきだったわね……」
「お姉様?」
なんだか視線が泳いでいて様子がおかしい。
「まあまあ、夢結疲れてるみたいだからこの辺でサ」
「もうすぐ門限だ。とりあえず行こう」
二人にそう促されて、私達は楓さんの部屋に向かったーーー。
ーーーラッピングされた駄菓子のラムネと瓶ラムネは、確かに学園の購買部と正門前の自販機で売られていた物だった。私はお姉様がプレゼントしてくれる物なら何だって嬉しいのだけれど、一方でお姉様はそれに全然納得していない様子で項垂れていた。
畑の土の着いた靴、氷の入ったあのクーラーボックス、それだけで本当は私は気付いていた。けれど、もっと決定的な事を確かめたかった。
「お姉様を私に下さい!」
みんなの黄色い声を受けながらお姉様を抱きしめた時、私は自分の願望が夢や嘘ではなかったのだとすぐにわかった。
私は、それまでお姉様にどんな言葉で想いを伝えたら良いのかを考えていた。お姉様が朝からずっといなくて、私は一体どうしたのかと思って心配で心配で……。そうやって私がお姉様を想っていたその時に、お姉様はきっと私の事を想って私の故郷を歩いていてくれていた。きっと、あの駄菓子屋さんを訪れて。きっと、あのベンチに座ってラムネを飲んで。そうやって伝えたい事が多過ぎて、どんな言葉にしても私の想いとは違う気がして。結局はどうやったら全部を伝えられるのかわからなかった。そんな魔法みたいな言葉なんてあるわけないと思っていた。
でも、お姉様を抱きしめた私の唇が紡いだたった一言の言葉は、私の想いを全てお姉様に伝えるのに余り有る替え難い言葉だった。
「葡萄畑の匂いがします」
お姉様、やっぱり私、お姉様のシルトになって幸せです。今日は、今までで一番幸せな誕生日です。
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