六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

王道万歳!!ベタ最高!!古き良きセカイ系かもしれない『君の名は。』ネタバレ感想と考察

君の名は。』観てきました。思った事を幾つかまとめてみます。

もう観たという方、ネタバレOKという方は下記へスクロール。 

 ちなみに、新海誠作品で観た事があるのは、『ほしのこえ』『秒速5センチメートル』『言の葉の庭』『猫の集会』『クロスワード』の5作品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シナリオはPVを観た時の予想通り、大筋は乙一の『きみにしか聞こえない』のSF要素を強化した上で、男女入れ替わりネタを主軸とした感じのモノ。そのベタさたるや、隕石関連の結末を読めない人はいないんじゃないかと思う。

しかし、じゃあアニメとしてダメなのかというと、そんな事は全くない。

 

・作画について

登場人物の動きは非常に細かく、だからこそ入れ替わった時の一挙手一投足に笑える。下ネタの天丼をしたいが為に、おっぱいを揉む描写に拘ったわけじゃない事は、作品をちゃんと観た人ならわかるんじゃないかと思う。そして、前作から引き続き描かれる東京(主として新宿)の街並み。現実のそれよりもなんとなくキラキラした感じで、それは三葉の憧れのフィルターを通しているからかもしれない。飛騨の情景はそれほどキラキラとはしていないが、空気の澄み具合が違うから、本来は逆だろうと思う。実際、幽世にある御社を最初に訪れた時は、瀧視点で描かれた為か綺麗だった。あと、舞台が細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』と近いので、描かれ方のタッチの違いを比べてみるのも良いかもしれない。

 

・音楽について

全編に渡ってRADWIMPSが担当し、ボーカル曲とインストゥルメンタルが併用されている。実際に観るまではOPアニメが用意されているとは思ってなかったので、ここから意表を突かれた。作品の内容として、"RADWIMPSの超豪華なMPV"と言っても半分くらいは説明出来るんじゃないかと思うが、これは、挿入歌の場面のアニメーションの持つ情報量が、非常に大きいからではないかと思う。入れ替わり生活を目まぐるしく描いた場面、「入れ替わりは週に2、3回」という台詞から、おそらく最低でも1ヶ月、ニュアンスによってはそれ以上の時間が描かれた事になる。互いにぶーたれながらも、入れ替わり生活を謳歌する2人の様子が、矢継ぎ早に飛ぶ台詞の応酬と、速いテンポで切り替わるカット割、そして、挿入歌の歌詞によって描かれる。多分、あの数分だけ切り取っても短編アニメとして成立するし、これは、短編アニメも多く制作してきた監督の色だと思う。入れ替わりについて具体的な説明を挟むのではなく、ある意味で独立したアニメーションとする事に、挿入歌の貢献度は大きいのではないかと思う。

 

・SF要素について

よくよく考えると、タイムパラドックスの要素がシナリオの根幹にある事がわかる。劇中の説明として、三葉が夢の中で入れ替わる事については、血筋である事が何度か語られている。過去に同様の災害があった時もそうだったようなので、隕石の落下もきっかけの一つだとわかる。しかし、それだけでは相手が瀧である理由付けにはなっておらず、その必然性は物語の終盤で明かされる。それは、文字通り、三葉が自分で選んで瀧と縁を結んだからなんだけど、ここで時間がループしてる事になる。この点、説明が投げっぱなしかと言えばそんな事はなく、前半のお婆ちゃんと糸織りをする場面でちゃんと理由が語られており、思い返してみると、あの場面がこの作品のSF考証の根幹だとわかる。これは、神酒に関しても同様の演出がなされていたと思う。なお、ループしているのは、あくまで2人の出会いのきっかけだけであって、紐細工の髪留めはループしてない。名前を思い出せなくなった原因は、多分、コレ。

 

・ガール・ミーツ・ボーイ要素について

互いの身体が入れ替わるというかなり特殊な状況ではあるけれど、本質的には、最初は反発しあっていた2人が、交換日記を通して互いに惹かれていく物語だと思う。交換日記の媒体がスマホだから、ぱっと見はそんな感じしないけど、やってる事はまさしく、遠距離恋愛一歩手前の文通。だから、瀧が先輩とデートするってなった時、2人とも浮かない感じになってる。手紙では相手の事を応援してたんだけど、その時には2人の気持ちはもう…ベタだ。三葉の「今日のデートは私が行くハズだったのにな…」なんて、映画館じゃなかったら絶対に悶絶してる。その時、三葉が泣いてた理由なんてわかりきってる。でも、「2人はこの後会えるのだろうか?」という不安が常に付きまとっているから、わかりきっている事が問題にならない。三葉が上京した時のしおらしい感じとか、実は3歳差で歳下の男の子の名前を赤面しながら繰り返し呟くとか、糸織り細工の髪留めは赤い糸のメタファだろうとか、手の平に書いたメッセージとか、何もかもがベタだが、2人は会えるのかという不安が最後の最後まで続くから、全然問題にならない。その上で、ラストにフェイントを畳み掛けるから卑怯。

 

セカイ系と表現した事について

一応、友人たちの力を借りたし、直接の描写は無かったとは言え、あの後町長は重い腰を上げた事は劇中でも示唆された。それでもセカイ系だと思うのは、三葉の最後の行動原理が、手の平のメッセージに他ならないと思ったから。仮に、あの後住民たちが一丸となって、みたいなシーンがあった場合、その辺がブレて『サマーウォーズ』みたいな雰囲気になるだろうし、そうなると瀧が置いてきぼりになる。あくまで2人の物語として展開された以上、この作品は古き良きセカイ系の系譜だと思う。

 

※追記 上記だと内容があまりに表面的だった為、全面的に書き直しました

 

ker-cs.hatenablog.com