六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

超ひも理論と神隠し、隠り世の宇宙が紡ぐ交換日記『君の名は。』考察と感想 修正版

大筋の内容は前回の記事と変わりませんが、あの記事を書いた段階では、まだ映画を一回観ただけで、小説版すら未読という状態だった為、記憶違いや時系列に関する勘違いがありました。それを修正して但書を付けていく作業を続けても、だんだん読み辛くなっていきますし、またあれから考える事もあった為、別記事として残します。例によってネタバレ全開なので、未視聴の方は注意して下さい。今回は『another side』のネタバレも含みます。なお、前回の記事はコチラです。↓
ker-cs.hatenablog.com




















まず、自分が観た上でのシナリオの流れと解釈はこうです
・三葉の時間で瀧との入れ替わり生活が始まる
・三葉、瀧と奥寺先輩のデートを取り持ち、涙を流す
・三葉、瀧に会いに上京し、3年前の瀧に組紐の髪留めを渡す
・三葉、彗星が落ち、隠り世で瀧を待つ
・瀧、彗星が落ちる景色を観る
・瀧の時間で三葉との入れ替わり生活が始まる
・瀧、奥寺先輩とのデートで訪れた写真展で、三葉の住む場所が飛騨である事を知る
・2人の入れ替わり生活が唐突に終わる
・瀧、三葉に会いに飛騨へ向かい、彼女が、もういない事を知る
・瀧、御神体で三葉の口噛み酒を飲み、隠り世へ入る
・再び入れ替わり、瀧、彗星の落下から住民を避難させる為に奔走する
・瀧と三葉が黄昏時の隠り世で出会い、瀧が三葉に髪留めを返す
・三葉が奔走し、その後、彗星が落ちる
・2人は隠り世から現世に戻り、お互いの名前と入れ替わりの記憶を失う
・瀧の時間で5年後、2人は再会する

上記について補足していきます。まず、下のカットから分かるように、星が落ちて三葉がいなくなった世界でも、彼女は髪を切り、髪留めを付けていません。劇中で彼女の友人が言っていたように、瀧と奥寺先輩のデートを後押しした事で失恋し、それで髪を切ったのでしょうか?そして、瀧に会うことは出来なかった為に、彗星が落ちて死んでしまったのでしょうか?これは違うと思います。なぜなら三葉がいなくなった世界でも、瀧は彼女の髪留めを持っているからです。三葉は、彼女がいなくなった世界でも、瀧に会って髪留めを渡しているハズです。
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あらすじの中で自分は、三葉が隠り世で瀧を待っていた、と書きました。これは、この作品の根幹を支えるSF理論が、いわゆるタイムパラドックスとは少々異なると考えた為です。その説明は、劇中で一葉おばあちゃんから語られた事が、そのまま答えになっていると思います。まず、御神体へ口噛み酒を御供えする道中、おばあちゃんは、「よりあつまって形を作り 、捻れて絡まって 、時には戻って 、途切れ 、またつながり 。それが組紐 。それが時間 。それが 、ムスビ 」と時間の流れの様を組紐に例えて語っています。これはSF作品においてパラレルワールドの説明にも用いられる、"超弦理論(超ひも理論)"を指していると考えられます。
超弦理論とはいったいどんなものなのか、ざっくり言えば、素粒子を一本のひもとして考え、高次の次元をそのひもの中に巻き込まれたものとして考える、というモノです。また、オープニングで歌われた『夢灯籠』の歌詞の一節「5次元にからかわれて」の5次元とは、超弦理論で取り扱われる、空間を指す3次元に時間を加えた4次元、それらの高次元にあたる"別の宇宙"を指していると思われます。それが、SF作品においては、パラレルワールドとして扱われたりするわけです。超弦理論の予想によれば、高次の宇宙を支配する法則は、この宇宙の法則とは全く異なるらしいのですが、それは逆に、後述で説明する世界の特徴と一致していると言えます。※超弦理論に関しては、この作品に関連するところだけピックアップして記述しています。全貌が気になる方は、是非、調べてみて下さい。
さて、次におばあちゃんは、隠り世について話をしました。これは、日本神話にも表れる"現世と幽世"の話そのままです。幽世には現世とは違う時間が流れているといいます。どちらの話も劇中で同一人物から語られた事から、一貫性が示唆されていると思います。そして、これらの話を統合して考えると、本作においては、この隠り世こそが高次の別の宇宙に当たるのではないでしょうか?ところで、カクリヨの表記について、"隠り世"と"幽世"と定まっていませんが、これはミスというわけではなく、小説版を読むまでは、自分は"幽世"の方の表記だと思っていました。文字通り、死者の世界としての意味合いが強い表記です。しかし、小説版を読み、劇中の表記が"隠り世"であると知った事で、その意味合いはやはり、死者の世界とは異なるモノだという認識が強まりました。また、口噛み酒を飲んだ瀧が見たイメージの中で、彗星が龍の形を取る場面があります。『another side』によると、宮水神社が本来祀っていた神とは、この彗星であり龍でした。この解釈が劇中においても適用されているのであれば、彗星によって糸守にもたらされた災害とは、すなわち、神によって人々が隠り世に連れていかれた事、と置き換えることが出来るのではないでしょうか。つまり、神である彗星による神隠しです。劇中で三葉は、瀧との入れ替わりによって3年後の糸守の有様を目の当たりにした時、彗星が落ちた時の事を回想しています。つまり、あれは既に起こった事なんです。劇中で描かれた三葉の暮らす世界とは、現実の3年前の世界ではなく、隠り世の世界だったのではないでしょうか?小説版第六章のタイトルは「再演」となっています。糸守に彗星が落ちるのは、1200年前から数えて2度目ではなく、実は、3度目だったのではないでしょうか?

タイムパラドックスと少々異なると言った理由ですが、瀧が最後に御神体の側で目を覚ました時、彼が三葉の名前はおろか、彼女との事を覚えていなかったからです。一見すると、三葉と瀧の入れ替わりをキッカケとして、彼女が瀧に会いに行き縁が結ばれる、というタイムパラドックスが原因のように思えます。しかし、三葉の運命が変わったのは、彗星が落ちた後の話であり、その前の入れ替わりの出来事の記憶は消えないハズです。この事から自分は、2人が記憶を失っているのは、時間を隔てて縁が結ばれたからではなく、現世と隠り世を隔てて縁が結ばれたからだと考えました。原因はタイムパラドックスではなく、隠り世での事を現世に持って来られなかった為ではないでしょうか?実際、劇中でもおばあちゃんが、「此岸に戻るには」「あんたたちの一等大切なもんを引き換えにせにゃいかんよ 」 と語っています。これは、あの時の2人にとって、互いに結んだ関係性以外に有り得ません。
黄昏時では隠り世の人に出会えるともいいます。御神体の側で瀧と三葉が出会った時、背景の隕石湖は一つだけでした。つまり、瀧が三葉の世界に足を踏み入れています。瀧がこの時出会ったのは、時の流れが異なる隠り世で、彼を待ち続けていた三葉だったのではないでしょうか?

自分は、以前の記事で2人の関係について、"交換日記から始まる遠距離恋愛"と比喩しました。この比喩の意味するところは、言った自分でも最初はよく分かっていませんでした。入れ替わり生活を通して互いの事を深く知り、その時の出来事を日記に付けていた事を指して、文通での交換日記を通して互いに惹かれていく様のようだ、と、そう表現していました。しかし、劇中で瀧が三葉に出会った時、「凄く遠いところにいた」と言っていた意味を考えた時、自分が遠距離恋愛と表現した意味がわかりました。これは"新宿と飛騨"という物理的な距離や"3年"という時間的な距離ではなく、それ以上に、"現世と隠り世"という霊的な距離を指していたのではないでしょうか?本当にどうしようもなく遠い距離です。ただし、上記で考察した通り、この作品において隠り世とは、死者の世界ではなく、神話の中に表れる"神に隠された世界"であり、同時に、超弦理論が示す"高次の宇宙"であると思われます。それは、黄昏時という言葉が示す通り、昼でも夜でもない曖昧な状態の時間であり、"シュレディンガーの猫"のような、可能性の定まっていない重なり合った世界なのではないでしょうか?
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これを踏まえると、三葉が瀧と奥寺先輩のデートを後押しした時、「今日のデート、私が行くハズだったのにな…」と言って涙する意味の重みが大きく変わってきます。初見だと、"本当は、私が瀧くんとデートしたかったのにな…"と捉えられる場面ですが、実際は、もっとどうしようもない感覚に対する涙であったように思います。そして、上京した三葉が電車に乗る瀧を見つけ、赤面して俯きながら「瀧くん…。瀧くん…。」と繰り返し呟く場面。本当に愛おしそうに、何回も名前を呟く場面。この時、彼女にあったのは、この広い東京で彼に出会えるわけがなかったのに、という思いではなく、同じように、もっとどうしようもない感覚だったのかもしれません。ただ、あの時2人が出会えた理由も、その感覚と同じ理由なのではないかと思います。あの時は、ひょっとすると黄昏時だったのではないでしょうか?
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これらの2つの場面が、自分には物凄く心に刺さったように思えました。その理由をこうして考えてみた次第です。そうして、"三葉は瀧を隠り世でずっと待ち続けていた"という考えに行き着いた時に、どうしてここまで、自分がこの作品に惹かれるのかがわかった気がしました。ただし、色々と理屈を組み立てましたが、三葉の世界のどこまでが現実で、どこからが隠り世での事なのか、言っている自分でも、正直、境界はよくわかりません。ただ、過去に戻って死者の運命を変えると考えるより、隠り世にまで赴いて神隠しに逢った大切な人を助けると考えた方が、劇中の描写や現実にある理論に則しているように思えたし、日本特有のファンタジーとして綺麗なんじゃないか、そう思ったに過ぎません。理屈抜きで運命の赤い糸の一言で全てを片付けても、それでも良いんじゃないかと思います。

最後に、三葉は瀧に恋したから、彗星が落ちるその前に彼に会いに行って、それで縁が結ばれたんです。そうして結ばれた縁から、彗星が落ちるその前に、彼女に恋した瀧が三葉に会いに来たんです。色々と理屈をこね回しましたが、それが何よりも良かったんです。すべてがこの一点に収束するよう、リアリティではなく、説得力を持っていた事が良かったんです。これはまさしく、新海誠監督が描いてきた"セカイ系"の系譜にある作品だと思います。

追記:映画の公開日である8月26日は、超弦理論を統合したM理論の提唱者"Edward Witten(エドワード・ウィッテン)"の誕生日だそうです。不思議な縁ですね。SFというジャンルがもっと面白く、間口の広いものでありますように。