六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

種の誕生におめでとう『映画ドラえもん のび太の新恐竜』感想と考察

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映画ドラえもんは子供の頃にリアルタイムに劇場上映を最初から追える世代ではなかったので、子供の頃はよくレンタルで過去作を観ていました。それが今は配信サービスで気軽に視聴出来るようになり、良い時代になりましたね。自分はコンテンツから長い間離れていましたが、近年の映画ドラえもんは、自分が慣れ親しんだ作品で活躍している一線級のクリエイターが多数招集され制作されている事もあり、再び視聴意欲が戻って来てついに劇場に足を運びました。色々と興味深い内容だったので思った事を羅列していきます。

 

 

 

・超作画と子どもたちの反応

自分はレイトショーで静かに映画を観たい派なのですが、ドラえもんのメインの客層を反映してかレイトショーでは大きな箱で上映されていなかったため、それより少し早い時間で鑑賞しました。まあ、それでも就学前後の子どもの親子連れが殆どだったわけですが、やっぱり子どもって黙っていられないんですよ。実際には、上映中にスマホをいじる大人もいれば静かに鑑賞出来る子どももいるので、子どもに目立つ傾向があるという表現の方が正しいわけですが。

そこで、本作の作画です。序盤でそうした子どもたちが一様に黙りこくった場面がありました。のび太の部屋の中でキューとミューが縦横無尽に駆け回って遊んでいるシーンです。とんでもないクオリティの作画です。ここは物凄く静かになりました。子どもの社会性をしつけで補う事も必要だと思いますが、こういう退屈を圧倒する体験をして自分が静かにしていられる経験を持つというのも大事かなと思います。


・過去作からのゲストキャラ

個人的な見解として、公式が徹底的に伏せてた情報が即日詳細にwikiに書かれたり、SNSでワーッと言われたのが拡散されたり、そういうのは粋じゃないなと思います。そういう情報を事前に得て、情報だけで満足してしまったりライブ感が無くなってしまったりするのは非常につまらない事だなと。

閑話休題

実は過去作のキャラが登場してのび太を助けるという展開は、劇場版に限っても本作が初出ではなく『雲の王国』という前例があります。『雲の王国』の場合はドラえもんのび太がそのキャラクターと言葉を交わし、明確に映画の内容が後日談であると語られていますが、本作のゲストキャラの扱いは少々特殊です。鑑賞している側からすれば明らかに同一のキャラクターに見えるのですが、映画の内容が旧作である『のび太の恐竜』や『竜の騎士』を明らかにオマージュしている事も相まって、『恐竜』と『新恐竜』が同じ世界で展開された出来事であるかは疑問です。そういうメタ的な要素を抜きにしても、恐竜探しの動機からして『新恐竜』が『恐竜』の後日談と考えるのは無理があります。これを安易なファンサービスと言ってしまうのは容易いですが、ドラえもんならではの“SF=少し不思議”として捉えた方が夢があると思います。

また、本作は前述の通り旧作である『恐竜』や『竜の騎士』の展開を踏襲しており、台詞のオマージュも多々あります。それらを全く知らずに観た方が新鮮に物語を観られるかもしれないですが、中盤のゲストキャラの登場は過去の大長編(どの作品かはここでは触れませんが)を知っていると涙腺にくるシーンなんですよね。不思議な構成です。両方を味わう事は出来ないのが何とも歯痒いです。ちなみに、そのゲストキャラですが中盤だけでなく最後の方でもちゃんと映ってのび太を見送ってるので、別に隕石の衝突に巻き込まれたりはしてないです。


ドラえもんにおけるタイムパラドックス

ドラえもんの世界観においては、”航時法“という未来の法律により何をもって“時空犯罪”と見做すかについてが定められているわけですが、その詳細は結構なあなあだったように思います。ドラえもんたちによる過去改変は『竜の騎士』や『日本誕生』で描かれたように度々引き起こされていますが、それらはタイムパトロール隊の登場の如何によらず不問とされてきました。それどころか、それら未来から過去に介入する行動までもを世界は織り込み済みであり、それが正史であるという世界観こそがドラえもんのSFのタイムパラドックスですよね。今作はそれが劇中でタイムパトロール隊の隊員から明言され、その行動が歴史にとって正しいか否かが明確に調査された貴重な作品であると言えます。


・繰り返しの演出

のび太とキューとミューが何度も身長(体長?)を測って記録していた事、キューが空を飛ぶ練習をずっと続けていた事、のび太が逆上がりの練習をずっと続けていた事、場面転換の度に映る電線に止まっている、そして飛び立つ鳥たち、本作では様々な事柄が繰り返され強調される演出が特徴の一つと言えると思われます。繰り返し同じ事をひたすら描く事で、出来ない事が出来るようになったという変化を印象的に伝えてくれる(あるいは、そこにあったモノが喪われてしまう場合にそれを突き付ける)演出ですが、鳥のカットは意味合いがそれらとは異なるように思われます。何故繰り返しそこにいるのが当たり前の鳥が強調されたのか、後述する本作のクライマックスでハッとなる演出でした。


・種の誕生

生まれつき身体が小さいために、翼も小さく尻尾も短いキューは、双子のミューと違っていつまでも滑空して空を飛ぶ事が出来ませんでした。練習に付き合っていたのび太も「それじゃ飛べない、仲間はそんな風に飛んでない」と言ってしまい(そうしないとキューが恐竜の時代で生きていけないという切実な理由あっての事です)一度ケンカ別れをしましたが、静香ちゃんに諭されて自分を取り戻した後は、それを言うの止めてただただ側で見守っていました。結果としてキューは滑空だけで空を飛べるようにはなりません。その代わりに羽ばたく事でハンデを補い空を飛べるようになります。そして、タイムパトロール隊のジルはそれを“進化”と評しました。こうして“鳥”という種が誕生したと、それが正しい歴史になったというわけです。本作の感想で“みんなと同じようにを押し付けてる”と言ってる人を見掛けますが実際の描写はそうではありません。途中までは確かにそうでしたが、最終的には羽ばたくというキューの個の在り方をのび太は認めたからこそ飛べたんです。(ただ、一点注文を付けるとすれば、キューが飛び立つところの回想にのび太の「仲間はあんな風に飛んでない」というのが入ってるのがチグハグな感がありますね…)

さて、最近になって散発的に炎上していた優生思想と関連して、キューは劇中で明確に排除の対象となっていました。同種の恐竜はキューが弱い個体であったために群れに迎え入れる事なく攻撃して拒絶しました。そうでないと種として生き残れないからです。一方で、それでは前述の進化の可能性も得られません。鳥という種はどうやって誕生したのでしょうね?


以上

 

映画ドラえもん のび太の宝島

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  • メディア: Prime Video