六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

『ルミナスウィッチーズ』 覚書 各話感想と考察

放送情報等は上記リンクの公式サイトを確認下さい。備忘録として毎話気になった箇所についてメモしていきます。


1話「WONDERFUL WORLD - はじめまして –」

『アサルトリリィ』に引き続き字幕テロップ多様の一方で世界観の説明は結構ざっくり。いつもの郷田ほづみさんによるナレーションも無く、既シリーズの視聴者でなければ本編との時系列の関係の把握はまず出来ない(Aパート開始時点でアニメ1期より少し前くらい)。ただ、かと言ってそれで世界観の把握に問題が生じるようなストーリーという訳では無いので初見の方もご安心を。とりあえずは、未知の怪物と人類(ウィッチ/魔女)との戦時中であり、退役した彼女らのその後の人生はどうなるのか、というテーマだけ押さえておけば問題無いと思われる。
冒頭から満天の星空と流れ星でもう言うことはない。空から落ちてきたマスコットとの出会いでウィッチとなる導入は『放課後のプレアデス』ファン必見。しかも主人公はナイトウィッチときて、これは本編1期2期6話(佐伯監督担当回かつ公式が「特別な話数とファンから思われてることは承知」と公言している)のヒロインであるサーニャと同じ特別なウィッチと至れり尽くせりの設定。一方で音楽隊のメンバーとなるウィッチたちは全員が戦闘に不向きというこれまでのシリーズには見られなかった設定(というより、主シリーズ501は各国エース級を集めた特殊部隊であるため、どちらかと言うとこちらが外れ値)。監督お馴染みの「あいたっ!!」は今回はおでこごっつん。おでここっつんも待ってます。
肝心の音楽は劇伴担当がスタァライト藤澤慶昌さんと監督の過去の参加作品の繋がりも感じさせられる。1話歌唱曲は「アメイジング・グレイス」とアイドルアニメ路線とは違う雰囲気をひしひし感じる。

2話「永久の寄す処」

1話では何とかなるよと一見明るく能天気に振る舞っていたジニーだったが、屋根の上で膝を抱え「私の声は誰にも届かない」と呟く彼女の姿からは表には出さない孤独が伺える。「モフィーを仲間のところに帰したい」「寂しいと思うから」と言っていた彼女だが、孤独感はモフィーと共有された感情なのか、それともジニーが抱えている孤独をモフィーに投影しているのだろうか。そんな中で、ジニーを見付けたいのりに感激した彼女が屋根から走って飛び降り抱き付く一連のカットが本当に気合が入っていて、その上でお馴染みの(アサリに無かったけど!!)あの有り得ない大きさの満月を背景にくるくると宙を漂いながら抱き合う二人の姿はもう、こういうのが良いんだよこういうのがと言う他無いです。後の話数では『放課後のプレアデス』の森悠さんの脚本も控えている公言されており尊さの期待がこれでもかと高まります。
牧場に住み込みで働くことがすぐに決まりかつ手慣れているところを鑑みるに(更にすぐに音楽隊に入隊となったが)、北欧の山間部出身ということを踏まえると農家や酪農家の出身なのかもしれない(本編に医家や名家、貴族の出身が多いだけにこれも対照的)。牧場は近所なのでこちらの仕事も今後続行する?

3話「優しい灯り」

この回を総じて今作はウィッチの第二の人生の他、震災からの復興の話なのではないかなと思った。これまでの舞台は基本的に最前線で、また、ウィッチでいられなくというのも魔法力を失って飛べなくなることを意味していた。501で魔法力を失う描写があったのは宮藤と坂本少佐の2名、3期ではお姉ちゃんとミーナ中佐のタイムリミットが迫っていた。宮藤が魔法力を失った後は元々の志望であった医学研修に励んでいた一方で(後に軍に復帰したが)、坂本少佐は飛べなくなった後も軍人は辞めていない。私見だけど、お姉ちゃん達の進路も坂本少佐コースなのではないかなと思う。
一方でルミナスウィッチーズでは明らかに戦闘員ではないウィッチを主題にしているし、市中の人々の生活も故郷を追われた疎開先でどうしているかではなく、住んでいた場所に帰ってきてこれからどうするか、という描写になっている。これらは同列のモノとしてシナリオに落とし込まれているように思われる。
ところで、話は変わりますがアイラ様のエンディングのカップリングはまさかのミラーシャなんですね。絶対エリーだと思ってましたよ。あと、モフィーに蝶の精霊(多分)が群がってたの、『放課後のプレアデス』のみなとのセルフパロであるならば、この子は空から落ちて来た星の王子さまなんです?

4話 「歌を歌おう」

音楽隊の中心って多分、というか確実にジニーで、彼女がみんなを引っ張っていくことで隊が進んでいるのは間違いない(今回噛んでなかったのは衣装くらい)。ただ、2話の独白で明かされた孤独の正体やそれが本当に月夜の邂逅で解消されたのかは未だ不明確だなと思ってて、どこかで主題に登ってくるんだろうなという予感がある。
アイラのキャラってミラーシャの妄想(?)からスタァライトの真矢様っぽい期待を持ってた人多いと思うんだけど、そもそも前線を離れた理由が負傷とそれに起因する魔法力の不安定から来るモノで不本意なのだから、別にサラブレットとかそういうキャラじゃないと思うんだよね。どっちかっていうと残念美人の類というか。だから場慣れはしてるけどジニーと違って天才のそれでは無いかなと。
マリアの飛行日誌がアイコンとしてちょくちょく映ってて、マナのキウイの件と併せてどこかで日誌メイン回がありそうな予感。いのりのピアノもね。それに田舎者とお嬢様(貴族?)の凹凸コンビと、今後の展開が端的にアイコンで示された回だったなと思う。ジニーの孤独とは対照的にある意味でわかりやすいけど、期待する方向が明確でもある。

5話「まっしろリボン」

4話で示された通り、個別カップル回の初回でジョーとシルヴィ回。貴族なら本編でペリーヌさんがガンガン最前線飛んでたし……、ということでシルヴィの正体はロマーニャのお姫様。本編でもお姫様回ありましたけど、その時はガードの対象としての登場であり主キャラはそうした過去作の色んな属性や要素をリビルドしてる印象がある(ジニーといのりが芳佳とリーネちゃんっぽかったり)。月明かりだけが照らす部屋の中で窓鏡越しに踊るカットに尺割いてるの贅沢なモノ観てるなって思う。ああいう情緒が好きだから余計にそう感じる。
置鮎さんの声で「戦わないウィッチであっても人々を想う心に違い等あるでしょうか」って「戦う人々は美しい」が信条のガンダムWのトレーズ閣下を意識しての配役だったのかなと思う。親子関係のことはサラッと流されてるように見えるけど、言ってしまえばルミナスの面々との間がそうであったように軋轢なんてホントはそこには無くて、ただそれが確認されたことに意味があったと思う。青い菖蒲の花言葉は「強い希望、大きな志、信念」で総じて応援の意。タイトルは「まっしろリボン」だけど、実際には折り紙一枚のアイコンに様々な意味を持たせて運ばせて最初から最後まで通す脚本。

6話「夢色コントレイル」

佐伯監督の『ルミナスウィッチーズ』にありながら佐伯監督脚本コンテではないという予想外の展開になった伝統の6話。今回の脚本コンテは監督の演出面における右腕的存在である副監督の春藤佳奈さん、演出は2話に続き松村幸治さん。1期2期6話の空気に近いし『アサルトリリィ』のそれっぽくもあるのだけど、かと言って“前髪を絡めておでここっつん”のような要点を拾いつつコピーでもない。一つ挙げるならクライマックスが夜空ではなく夕焼け空であること。アイキャッチがマナ(太陽)と月(マリア)であることからその狭間の夕陽であることは間違いなく必然。感情を吐露する言葉はストレートで表情もわかりやすくコロコロと変わる。一方で少しずつ後退りを続けていたマリアの手を取って引っ張っていくマナの姿や、飛べない彼女を置いて風に舞って飛んで行ってしまう演出プランの用紙の束は象徴的で。色々とマナがそうであるように踏み込んでくる話に思えて言語化し辛い。そういえば、マナを探しに来たジニーが彼女の話聴いていた時、毛繕いされるモフィーが彼女の投影であるとするならば意外と受け身だったのではないだろうか?

7話「太陽の理由」

使い魔に詳しい女性のCVは脚本でも参加されている木村はるかさん(脚本は”森悠”名義)。『放課後のプレアデス』では「ななこ13」でななこの母親役を演じられており、ルミナスがオラーシャの疎開地へ公演にというあらすじから(んん……?いやまさか……)という予感が過ぎる。そして本編、黒猫の使い魔にジニー達が導かれる道程で心拍数が上がり、お婆ちゃんの形見のウィッチのノートに焼けたピアノの白鍵と8月18日に猫マークが付けられててもう冷静に視聴出来ない。でもでも、パパのキャラデザが想像と全然違うし思わせ振りなだけか……?と思わせておいてからの、身なりを整えてピアニストとして登場した姿からは血の繋がりを感じずにはいられない。何だか前はもっとプレアデスのツダケンボイスのひかるパパのような壮年のイメージがあったんだけど、御両親共に凄く若いんですね。ミラーシャはいのりに「ひとの家の中をじろじろ見るんじゃないわよ」と嗜めつつ自分も同じことしてるのを棚に上げてるのがらしい。
6話のモフィーの様子からジニーは意外と受け身と評したけど、今回はミラーシャから「(我儘を言うなんて)いつものアンタらしくない。良い意味でね」と言われていたことから、これは自分の想像という訳ではなく実際そういう風に劇中でも見られいる節があったと思われる。というより、だからこそ魔導針はヘッドホン型で受信することしか出来なかったし、一見すると社交的なようで2話で見られたようにその実は内向的な彼女の性格を物語の節々で描写してきた。モフィーは自分がまだ何者かもわかっていない、という『放課後のプレアデス』や『アサルトリリィBOUQUET』から引き継がれたその一節は、モフィーはジニーを投影しているというその予想が正しいならジニーにもそのまま当て嵌まる。ジニーが魔導針を通して受信しか出来なかったのは、彼女自身が自分が何者であるかわかっていなかったから。ジニーが503部隊に居場所を知らせたネウロイは1期6話のモノと同型。なんでもう一体いたのか?についての解答は使い魔の黒猫が双子だったからで十分に思える。
ラストに雨音とピアノの音色とエイラーニャと芳佳登場で1期6話とリンクするという佐伯監督の職権濫用によるサービス回……、のようにも見えるんだけど、間違いなく主軸は後半に向けたジニー回です。それらを両立するなんて贅沢が過ぎる。

8話「あの日々を忘れない」

やはりこのアニメはアイドルアニメではばく『ストライクウィッチーズ』の本編にして“歌と音楽”を描くアニメなのだなとしみじみ思う。劇中歌の伴奏に琴が使われるアニメなんてそうそう無いですよ。劇中で演奏したのはいのりだけど、実際に演奏したのはジニーの中の人である鳴海まいさん。謂わゆるキャラソンと違って当時の歌という雰囲気。ミラーシャはミーハーじゃなくてかなりのガチ勢だったと判明した一方で、エリーは看護兵である以外は(今回で故郷を追われたと明かされたけど)依然として不思議ちゃんのまま。いのりのお婆ちゃん若過ぎるしそっくりだし中の人は魔法少女(セーラーマーキュリー)としても使い魔(CCさくらケロちゃん)としても偉大な先輩である久川綾さんだしと気になることが多過ぎる(余談だけど、『放課後のプレアデス』のひかるママの中の人はセーラージュピター篠原恵美さんでした)。
扶桑公国での公演(垂れ幕がオープニングに映る「ようこそ」のあのカット)にお渡し会、唐突な水着回に加えお風呂に浴衣とてんこ盛り。今作初登場のお風呂がこれまでのシリーズのような大浴場じゃなくて『となりのトトロ』ちっくな釜風呂なのは宮崎駿監督からの血筋を感じる。一方で演出がシャフト色強いのは『アサルトリリィ』の運動会やアゾン爆破回の宮本さん担当だから。
7話のこともあってか、それまで受け身寄りだったジニーのコミュニケーションのスタンスが少し押しが強くなっている?石田大尉はお遊びっぽい。けど、初めて出来たナイトウィッチの友達である“西杉智美”、彼女から「その浴衣すごく似合ってる」と魔道針を通して受けたメッセージには返答出来ている様子は無かった。ジニーがナイトウィッチとして彼女に返答出来る時は来るんだろうか?

9話「星と共に」

みんなのお姉ちゃんであるジョーと妹属性大好き(実際に妹かは問わない)なバルクホルンお姉ちゃんが出会ったら何が起きるんだろう……?とか考えてたら“ジョーはシルヴィの前では妹になる”という解答が公式からお出しされた。黙って全力で頷くしかない。ジョーの出身はリベリオンの田舎と聞いていたからもっとスラムっぽい所なのかと思っていたけれど、そういう感じではない。文字通りの下町といった感じ。ご近所さんとの距離感とかお母さんが謂わゆる寺子屋のようなところで働いているところを鑑みるに、地域単位で子供を育てているような印象がある。
米国もといリベリオンにはネウロイが出現しないの、兵器に擬態しながら進化を続けているネウロイが現実では核兵器保有する世界最強の軍事大国に被害を与えないということになるので、これは自分が知らないだけでワールドウィッチーズ時空の世界ではリベリオンは戦争とは無縁の国なんだろうか?今回舞台となったニューヨークの星形要塞は、おそらく地理と景観の良さから類推するにガバナーズ島のジェイ要塞がモデル(※ていうか隊長が言ってましたね……)。史実では軍事演習場のハズだけどそういう血生臭い雰囲気は感じられなかった。でも、本編のシャーリーもそうであるようにウィッチは生まれるんだよねぇ……。精霊はいるけどネウロイはいない、と。
1話では政治的な駆け引きが下手っぽく描写されていたグレイス隊長だけど、回を追う毎に強かになっているのか、それとも世渡りが実は上手だったのか。今回は移動や宿舎に結構な予算が降りてるっぽかったり、縫製工場を借りてみたりと。石田大尉に愚痴っていたように腹の中では色々あるのかもしれないけど。狐のおじさんがマリア推しな一方で、リベリオンのお偉いさんはマナ推しなのか。へー。マスコットのアイコンで推しがわかるって上着やバッグに缶バッジ着けてるああいうのみたいだ。
ツアー中に曲や衣装作ってて(実際には仕上げを残すだけだったりデザインは既に決まってるけど)慌ただしい感じではあるんだけど、でもリベリオン由来のことを現地に併せてやりたいという想いがあるので一貫性がある。自由時間の一日では各々が自然とカップルで行動してる中でジニーだけだが単独行動してるの気になった。どこかにまだ孤独が透けて見えるようで。
最初に本作のテーマは“災害からの復興”だろうと推測したけど、このタイミングで501部隊によるガリア解放の報。直前にエリーが「いつものアイラより大胆だった」とか言ってて(そ、そそ、それはどういう意味で!?)と滅茶苦茶動揺してたところにそれをぶつけられて訳も分からず泣いてしまった。

10話「故郷の空

今回エリーを通して描かれた“フィルム越しの被災地”と“実際に訪れる被災地”の見え方の違いみたいなものには覚えがあって、数年前に福島に行ったのだけど、その話を聞いた家族は中心市街地が今でも瓦礫の山で放射能に汚染されているかのような印象を持っていたという。メディアがそういう風に歪めてしか報じないから。
エリーの微妙な人との距離感のベースは飼っていた猫を疎開に連れて行けなかった経験に起因しているのかもしれない。大事になると手放すのが辛いから。エリーは宮藤タイプの衛生兵なのかなと思っていたら、元々は普通の看護師でウィッチとしては遅咲きで兵士にはなれなかったタイプ。タイプといってもそういうケースもあるんだいう今更ながらの驚きがある。使い魔や精霊が見えているだけの段階では未だ“ウィッチとしての才能がある”という状態で、契約を交わした時点からウィッチとなる。だとすれば、ラストのジニーは……。
グレイス隊長がそうであったように魔法力を失った元ウィッチは使い魔や精霊を認識出来ない。これまでのウィッチーズシリーズでは魔法力は本人と不可分のモノで、それは過剰な消耗や加齢によって失われるある種の摂理として描かれていた訳だけど、今回ラストではジニーがモフィと別れた瞬間に彼を認識出来なくなってしまった。魔法力がウィッチ本人と可分の関係にあって、それが使い魔によって与えられたモノである場合に一瞬で断絶されてしまう喪失感がある。1話時点でジニーがモフィと別れたらウィッチではなくなると言われていて、ジニーはそれがどういうことなのかわかっていなかった。それは今回も同様で、いのりとミラーシャは引き留めようとするのだけど、ジニーはモフィと別れて受け取った羽根までもを認識出来なくなってから初めてその意味がわかってしまった。2人とは対照的に、どうしてエリーはジニーに黒い鳥の精霊のことを伝えたのか。それはジニーが「故郷に帰れるなら帰った方が良いよ」とエリーに言ったからに他ならないし、子猫たちに囲まれて暮らすかつての飼い猫の姿を見たから。モフィの正体は黒鳥、ブラックスワンの雛鳥。”物事を一変させる“象徴の鳥。それはルミナスウィッチーズの結成とその後の活動を引っ張ってきたことを示唆していると思われる。けど、隊ではなくジニー本人にとっては?自分は彼女を孤独で受け身で内向的な面があると見ているけれど、ジニーは本当はどうしたい?いつもモフィに話していた“仲間の元に帰りたい”とか”独りは寂しい“とか、それってジニーの本心じゃないの?

11話「わたしとみんなのうた

シリーズ始まってからずっと「ジニーはああ見えて受け身で内向的」「“モフィを仲間のところに帰したい、独りは寂しいと思うから”って言ってるのはジニー本人のことじゃないの?」と言ってきたので、ジニー本人が遂にその気持ちに向き合う時が来たか、というのは必然の流れではあったと思う。でも、それがあのジニーが歌を歌うのを辞めて自分で耳を塞いでしまった末にようやく、というのが見ていて凄く胸が苦しい。「私の声は誰にも届かない」と独りで膝を抱えていたジニーにとって、それが大勢の人に届いていたことを実感すること……、喜ばしいことであっても大きな実感って受け止めるのは大変なこと。出来事としては軍を辞めたというのはあるにせよ宿舎の近所の農家さんのところに暫く居た後、駅に行って帰って来た、ただそれだけなのに心の動きでストレートにぶつけてくるから辛い。7話でミラーシャが言っていたようにジニーってその実そんなに我を出さないから、それが溢れるのってこういう感じなんだっていう思いがある。「行き先間違えちゃったの?」ってファンの子どもたちに言われたの、効くなぁ……。