六連星手芸部員が何か書くよ

お基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ。アニメや漫画の感想、考察、レヴュー、再現料理など。

つまりは『フリクリ』ってなんだ!?『フリクリ プログレ』感想

フリクリ』そのものの概要や『オルタナ』の感想は前回の記事も併せて参照して下さい。

そもそも『フリクリ』ってなんだ!?『フリクリ オルタナ』感想 - 六連星手芸部員が何か書くよ


『エログロ』 

今作『プログレ』では毎話アバンにヒドミの見ている夢の情景が描かれており、仮にこれを夢パートと呼称します。この夢パートでは、基本的に終末の世界を舞台として、スプラッタ映画のような描写であったり、本編とはタッチを変えた劇画調な作画になったりと、アニメーションとしては毎回凝った作りになっているのですが、一点だけ注意点があります。この夢パート、ヒドミの腐り落ちた両腕の断面から骨が見えていたり、スプラッタシーンでは足がもげて多量に出血したりと、割とグロテスクな描写が多いです。まあ、旧作でも首もげたりしてましたし、旧エヴァの鳥葬とか思えば今更と言えば今更ですが。なので、耐性無い人は一応注意。

また、頭のネジが飛んで(実際には刺さって)豹変したヒドミが、制服越しに自分の胸やおしりを弄るのもこのパート。あと際どいのは、日常パートでラハルがアダルトビデオ(らしきもの、音声のみ)をヒドミに見せるシーンがあるくらいでしょうか。旧作の半熟目玉焼きよりはケンゼンですよ?旧作のマミ美や『オルタナ』のカナブンと違ってスカートが鉄壁。まあ、この作品を小学生以下の子連れで観に行く猛者がいるとも思えないですが。


『エヅクリ』

引き続き、まず夢パートの話から。とりわけ一番目を引いたのは5話の劇画調タッチの描写ですね。直近で観た作品だと、『ペンギン・ハイウェイ』の夢パートのタッチを想像して頂ければ分かりやすいかと。そして、5話はこの夢パートが終わったあとも、その影響を受け続けるかのように本編全編に渡って作画のタッチが変化したまま続きます。イメージとしては、終始、貞本義行さんの漫画がフルカラーで動いているような質感です。この質感は旧作にも無かった要素で、本作の表現の目玉と言っても過言では無いと思います。

また、『オルタナ』では挿入されませんでしたが、本作では旧作にもあった漫画パートがあります。旧作では青年誌風の濃い目の描写だったのに対し、本作はめばちさん作画によるスッキリとした少女漫画風。本作の漫画パートは唐突に挿入されたというわけではなく、回想シーンとして表現されていました。逆に言うと、この演出の素直さが旧作との違いかもしれないです。「何故そこで漫画!?」という驚きではなく、そういう意図なんだろうな、という文脈として理解しやすい作りになっているというか。ストーリーも明確にラハル軸で進みますし、主人公が額から飛び出した異形の化物を使役して戦うというのも、旧作を踏襲してるのである意味でわかりやすいです。セリフ量に関しても、新作は旧作と違ってかなり多くなっているように感じます。逆に言うと、挿入歌やBGMにセリフが被ってしまう原因はこれだろうと思います。旧作は圧倒的に状況説明が足りてないですが、「そこは圧倒的な作画とthe pillowsの音楽の力で何となく伝わるだろ」みたいな謎の自信に満ちた画作りがされていたように思います。


『オイオイ』 

ヒドミのお母さん(自称はママ、そしてコレはストーリー上で重要)は外見的には中学生の娘がいるとは思えないくらい若々しく、演じられた声優さんがまだ17歳(おいおい)という事もその印象に拍車を掛けています。でも、終盤まで観るとこのキャラデザがよくある漫画的なギャグではなくて、ちゃんとシナリオ上で意味のあるデザインやキャラ付けだという事がわかります。別にロリキャラではないんですよ。時が止まったような幼さを抱えているというか。そして、『オルタナ』ではモヤっとした感じに終始した「変わらない日常」というテーマに関して、『プログレ』ではそのアンサーとも取れる想いをヒドミがお母さんに吐露します。…まあ、その直後にその日常の象徴がギャグ的にぶっ壊されたシーンが挿入され、この時は一瞬、演出陣の性格を疑ってしまいましたが(ゴメンナサイ)、ラストで日常ってのはモノじゃねぇハートだ、と言わんばかりのシーンがあった事で演出の意図に納得がいった気がします。ただ、個人的には『オルタナ』のモッさん回のオチと併せて、シナリオ?演出?的に「んん?」ってなったところではありました。


オルタナ』 

今更ですが、『フリクリ プログレ』は明確に旧作『フリクリ』の続編です。今作の新キャラであるマスラオと旧作に登場した入国管理局のアマラオの血縁関係を思わせるような描写や、イメージ映像ではありますが、ナオ太やマミ美、カナブンたちも描写された事から、シリーズの時系列としては本作が現状では最も新しい話であると思って間違いないでしょう。ただ、旧作と『オルタナ』のどっちが先なのかと聞かれたら、ごめん、よくわかんにゃい。『オルタナ』のラストでハル子が2人に分裂(ラハルとジンユ)したかのような描写があった点を除いて、『プログレ』との明確なシナリオ上の繋がりって無いんですよ。『オルタナ』では、メディカルメカニカがアイロンを世界中に落とした事により、一部の富裕層が火星へと移住し、それによってカナブンとペッツが引き裂かれ、カナブンはエヌオーの力によって火星を地球のすぐ側へと引き寄せる…というシナリオ展開がされています。いますよね?で、旧作の舞台が実は地球と見せかけた火星だった、というボツ案や『オルタナ』ではアトムスクを追っている素振りが全く無い(そもそも劇中では開始時点でアイロンが登場してないのでまだ囚われていない?)事などを考慮すると、時系列は『フリクリ オルタナ』→『フリクリ』→『フリクリ プログレ』と考えるのが自然だろうと思います。ボツ案と言っても、実際に『フリクリ』6話のラストでは地球のすぐ側に明らかに月ではない星が存在してましたからね。ただ、そう考えると「分裂前の『オルタナ』のハル子が林原めぐみさんで、分裂後の『プログレ』のラハルが新谷真弓さんじゃなきゃ設定的におかしくね?」って思うんですよ。キャストが逆なら時系列は上記の予想の通りだと思うのですが…、やっぱよくわかんにゃい。


『ソツクリ』 

ラハルは広域宇宙警察フラタニティの捜査官であり、星をも盗むエヌオーの持ち主である宇宙海賊アトムスクを追っている、というのが旧作での設定ですが、彼女がアトムスクを追う本当の理由は、彼に惚れ込み彼を自分のモノにしようとしている為です。一方、分裂したもう一人のハル子(ジンユ、こちらは沢城みゆきさん)ですが、こっちもフラタニティの捜査官であり、同時にアトムスクへの好意感情も引き継いでいます。二重人格で三角関係状態に陥っているようなものですね。しかし、2人の好意のベクトルが違っており、ラハルは彼を自分のモノにしてしまおうと文字通り鳥籠の中へ捕らえようとする一方で、ジンユは彼の自由なところに惚れ込んでおり自由な彼だからこそ好きなんだと吐露し、2人の感情、もといベースがぶつかり合う事となりました。


『コイバナ』 

青春群像劇を扱った『オルタナ』に対し、『プログレ』は明確に愛をシナリオの軸にしていたと思います。愛と言っても様々で、ラハルのアトムスクに対する独占欲やジンユのいじらしい想い、ヒドミママやヒドミの家族に対する想い、お金で買うところから始まる愛(!?)、恋愛…未満の感情等々。それぞれの愛は独立しているのですが、シナリオ的には互いに影響し合って関係しているんですよ。お金で買える愛までシナリオに絡むとはね…。いや、最初に出てきた時は「この娘絶対どっかの組織の諜報員かガイノイドのどっちかだろ」って思ったんですけど、その後の衝撃の展開で完全に騙されましてね。直感ってやっぱ大事だなって思いました。いずれにせよ、モヤっとした感情ではなく、コレっていうテーマを持った事で全体的にまとまり良く締まった作品であったと思います。また、旧作から続くラハルのアトムスクへの想いにスポットライトが当たった点において、非常にわかりやすく続編であるという印象を受けました。

ラノベ表紙絵に端を発した表現規制の話について思う事

グダグダ書きたくないので、まず結論だけ記します。

①フィクションの一次創作に関して

現行法でそうなっているようにゾーニングは必要だと思いますが、完全に規制される謂れは無いと思います。非実在青少年云々を語る方は、とりあえず現実と妄想の区別を付けましょう。

②ノンフィクションの表現媒体に関して

場合によっては規制や罰則が必要と考えます。こちらはフィクションと異なり、実在の人物や団体に被害が出るため、お咎め無しでは済まされないからです。(例えば、マスコミが特定個人を誹謗中傷するような報道犯罪、ワイドショーにおける震災被災者への人権侵害や建造物侵入など。あとは、東日本大地震で問題になった津波に人や車が飲まれる映像を繰り返し流し、視聴者に心的なダメージを与えた、というような害のある報道とか)

③二次創作に関して

こちらは基本的に全てフィクションという事になりますが、二次創作を“する側”が暗黙の了解とやらを勝手に拡大解釈して権利を主張し続けるなら、規制や罰則の強化も止む無しだと思います。本来の権利者が経済的、風評的被害を被るからです。


以下、補足します。と言っても、①②に関しては上記以上に特に書く事も無い為、一番揉めそうな③についてです。興味ある方だけどうぞ。


最近この話題に関しては物凄くモヤモヤしてるんですけど、表現規制に関してフィクション、ノンフィクション、一次創作、二次創作を明確に分けて論じてる人って殆どいないですよね?みんな自分の信仰する“宗教”の話ばかりで、表現媒体や方法、対象を場合分けしている人を見掛けません。全て一緒くたにしてしまっているように思います。

その場合何が起こるかを考えると、例えば、表現規制に反対(創作は規制されるべきじゃないと主張)する人の中には、二次創作で他者の権利を侵害して自分の首絞めている人たちもいますよね?これは私の観測したあるクラスタの話になりますが、その人たちは…


・二次創作は表現の自由で何をしてもいい

・作品が好きでこうしてるのでどうこう言われたくない


と主張しながら…


・二次創作同人誌のDL販売を行う

・アカウントに鍵をかけたり、センシティブ設定を有効にするなどの対策を行わずに、他者の創作物を対象とした暴行、強姦、首絞め等のパラフィリア的な投稿を繰り返す

・トレスグッズ売買を公式に咎められた前科持ちが現在でも同人活動を行なっている


…といった有様です。無茶苦茶ですね。正直、そんなクラスタに寄生された作品のファンを名乗るというのも心理的に抵抗があり、こういう気分に陥る人がある程度の数になっていく状態が、一次創作が二次創作によって被る風評被害なのだろうと思います。まあ、そういう気分にならない人もいると思いますが、公式はそういう時にどっちの訴えに耳を傾けるのだろうな、なんて事を思ったりもするわけです。(リンクは貼りませんが、この件の詳細はこのブログの過去記事を読んで下さい。ついでに言うと、この手の話題にフェミニズムを持ち出すような方は、上記のような言動をしている“女性”の自称創作者をどう思っているのでしょうか?女性の権利を云々を訴えるのであれば、矛先を間違えてるんじゃないですか?)


話が宗教の話に脱線しそうになりましたが、上記だけだと風評被害なんて存在しない、個人感情の問題だと無視する人がいるかもしれません。しかし、表現規制を強化したい人たちにとってはどうでしょうか?二次創作者にモラルや自浄作用が無いのであれば、一次創作をも巻き込んで表現規制の流れを作られる可能性もあるのではないでしょうか?だって、現実と妄想(ノンフィクションとフィクション)の区別の付かないような人が表現規制を訴えてるんですよ?一次創作と二次創作なんてマンガで一括りにされて終わりでしょう?(※個人の感想です。)


また、二次創作の権利を主張する人がよく口にする「グレーゾーン」という言葉ですが、そんなものは法的に存在しないと理解した上で開き直っている人はどれくらいいるのでしょうか?直近の話題としては、任天堂マリカー裁判が最も印象的だと思いますが、下記の内容が裁判に勝訴した任天堂の公式コメントです。


「当社は、長年の努力により築き上げてきた当社の大切な知的財産を保護するために、当社のブランドを含む知的財産の侵害行為に対しては今後も継続して必要な措置を講じていく所存です。」

ニュースリリース : 2018年9月27日

特定の作品に言及したわけでなく、非常に汎用性のある言い回しで端的に知的財産について述べられていると感じます。


また、任天堂程の世界的な大企業でなくとも、先日『ガールズ&パンツァー』の公式アカウントが、下記の通り無許諾同人グッズに関してコメントを出した事も記憶に新しいです。

「ガールズ&パンツァー」公式アカウント on Twitter: "「ガルパン」無許諾グッズについて改めてお願いいたします。複製・二次創作の如何に関わらず、正式に許諾していないグッズ(同人グッズ含む)の製造・販売(頒布含む)は著作権侵害行為となります。ファンの皆様は無許諾グッズをご購入なさいませんよう、お願いいたします。BV杉山 #garupan"


このように、企業は自社の著作物の権利が侵害されたり、それによって経済的に不利益を被る場合、法的措置や注意喚起を行います。「公式が同人関係にコメントしないのは暗黙の了解」「同人はグレーゾーンだからセーフ」などという言葉は、二次創作を行う側が勝手に言っているだけであり、そうした身勝手な主張で一次創作を蔑ろにするのであれば、そう遠くないうちに、自分たちの身を滅ぼすような気がしてなりません。

けるさん家の今日のごはん 2018年9月

秋刀魚ご飯、お造り、なめろう、さんが焼き、塩焼き

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ブラジルプヂン 

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ジンジャーエール

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ナポリタン

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麻婆豆腐具沢山

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アヒージョ、お醤油を少し

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アヒージョパスタ

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コロッケ(肉詰めのタネを色々流用)

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ゆめぴりかで作ってみた親子丼

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豆腐ハンバーグ

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ハヤシライスハンバーグ

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豚汁

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きんぴらピーマン、かぼちゃの煮物、衛宮ご飯観て食べたくなった里芋煮っ転がし

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お好み焼

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毎月20日カレーの日

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スイートポテト

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ポークジンジャー

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ブリ大根

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カボチャプリン

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パンプキンスープ

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秋刀魚の味噌煮

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『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』考察のレヴュー 『スタァライト』とは?

少女☆歌劇 レヴュースタァライト 第一話「舞台少女」 - YouTube

この記事を読んでいる方にはまずいないと思いますが、もし未視聴の方がいらっしゃいましたら、YouTubeで1話が常時フルHD画質で無料配信されていますので、まずは是非ご鑑賞下さい。

 

少女☆歌劇 レヴュースタァライト』素晴らしい作品でしたね。昨今、原作枯渇による過去作のリメイクや続編を扱う作品が増えている中、平成最後の年にこんなにエネルギーに溢れたオリジナルアニメに出会えた事、本当に嬉しく思います。

さて、全話鑑賞された方ならわかると思いますが、本作のシナリオはキャラクター同士のやりとりや関係性、台詞回し、日常パートとレヴューのリンク、そして、演技のディレクションにおいてまで膨大な伏線が散りばめられており、とてもではないですが全てを考察してここに記す事は出来ません。そこで本稿では、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』において描かれた様々な「スタァライト」についての考察を試みます。


・キリンのレヴューとは何だったのか?

本作における最大の謎「キリンのレヴュー」ですが、「レヴューを勝ち抜いた舞台少女はトップスタァになり、どんな舞台を演じる事も出来る権利を得る」という報酬、「レヴューに参加したトップスタァ以外の舞台少女はきらめきを奪われる」という代償、そして、「予想もつかない舞台少女のきらめきを観たかった」というキリンの目的、それらが説明された一方で、その実態が何であるかについては、ついに明かされる事はありませんでした。

当初は『少女革命ウテナ』の薔薇の花嫁を奪い合う決闘(デュエル)と同様のものではないかとも言われていましたが、最終的には、似て非なる全く独自のものであったという感想を持たれた方が多いと思います。レヴュー1日目を舞台席で見ていた華恋が最初に言っていたように、舞台少女に課せられたレヴューとは、劇中劇『スタァライト』をなぞらえたものであり、扱われた課題も女神たちが背負っていた罪と全く同じでした。また、その悲劇の結末までもが酷似しており、これは『スタァライト』を模したレヴューというより、最初から『スタァライト』そのものを演じる事を課せられていたと考えた方が自然であると思います。

つまり、キリンのレヴューとは、劇中劇『スタァライト』と原典を同じくして、その解釈を変え、形を変え、神話の時代から現代にまで継承された『星祭りの夜の星摘み』そのものなのではないかなと思われます。


・華恋とひかりの人生としてのスタァライト

幼少期に出会った二人の少女は、同じ舞台の上(星祭りの夜)で再会する事を約束して別れます。ひかり(クレール)はその約束の前に星を摘もうとしてきらめき(記憶)を失い、華恋(フローラ)は約束を胸にそんな彼女と再開を果たします。二人の少女は舞台少女(罪を背負った女神)と戦い塔の頂にあるトップスタァ(星)を目指し、ついに二人で星の元へとたどり着きます。しかし、トップスタァになる事が出来る(星の願いを叶えられる)のは一人だけ。華恋(フローラ)は塔から落ち、星罪を負ったひかり(クレール)は塔の中へと幽閉されてしまいます。


上記が本作の11話までのあらすじとなりますが、舞台『スタァライト』の原典(※)シナリオそのままですよね。何故、二人の人生がここまで『スタァライト』に酷似しているのか。それは、キリンが最終話で私たちに語り掛けたように、この物語が私たち観客が観ている舞台であり、同時に、これは当初から明かされていた通りの事なのですが、私たちが観続けてきた作品のタイトルは何だったでしょうか。二人の人生が『スタァライト』に酷似しているのは、やはり、キリンのレヴュー同様に、その物語の原典が『スタァライト』だった為ではないでしょうか。


・様々な『スタァライト』の物語

さて、劇中でひかりを失った華恋は、ひかりが英国から持ち帰った『スタァライト』の原典(※)本を読み解き、自分が演じた第99回聖翔祭の『スタァライト』が本の内容と異なっている事に気付きます。少なくとも本作の劇中で描かれた『スタァライト』は…


・華恋とひかりの思い出のスタァライト

・第99回聖翔祭のスタァライト

・レヴューとしてのスタァライト

・ばななの想うスタァライト

・華恋の読み解いた原典(※)のスタァライト

・第100回聖翔祭のスタァライト

(※実際には原典ではなく、様々な解釈の一つかもしれません。『スタァライト』の原典を最古まで辿っていく事が出来るとしたら、キリンのレヴューの考察に書いたように、神話の時代の女神たちの物語に行き着くのではないかなと思っています。)


と、このように、劇中で言及された通り解釈の違いによるシナリオの異なる様々な種類があります。そして、華恋とひかりの人生もまた『スタァライト』であるという考察で触れた通り、物語の解釈の違いによる差異はこの作品そのものにも及んでおり、『少女☆歌劇 レヴュースタァライト』という作品もまた『スタァライト』の物語の一つであり、その物語の劇中劇もまた『スタァライト』である、という入れ子状の物語を形作っているのだと考えられます。何故、二人の少女の物語と劇中劇、キリンのレヴューの全てが酷似しているのか、それは、それら全てが原典が同じくする『スタァライト』だった為ではないでしょうか?

本作の9話においてひかりが華恋に語った(あるいは、ばななが純那に語った)『スタァライト』の物語は典型的な悲劇であり、「果たしてこれが胸を焦がす程の物語なのか?」などと思ったりもしましたが、本作を最後まで鑑賞した今、『スタァライト』の物語は「胸を焦がす程の物語だった」とそう思います。

そもそも『フリクリ』ってなんだ!?『フリクリ オルタナ』感想

『ナニクリ』

2000年にガイナックスによって発表された6話構成のOVA作品であり、wiki等観て頂ければ分かると思いますが、錚々たる制作陣によって描かれたアニメーションです(原作権移譲の件等々はここでは触れません)。そして、『フリクリ オルタナ』に関しても、劇場で先行上映されているだけであって、旧作と同様に6話構成のOVAとなっています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AA


『ハナカラ』

そもそも『フリクリ』を構成する要素とは何でしょう?私見でザックリ羅列すると…。


・「the pillows」のアニメーションミュージックPV

・アニメの枠に収まらない破天荒な実験的表現

・ギャグや下ネタによって説明された、あるいは覆い隠されたアクの強いSF

・ハイクオリティなアクション作画

・少年のオデコから出現するロボ

・ナオ太とマミ美の退廃的おねショタ

・あるいは、ナオ太とハル子の形容し難いボーイミーツお姉さん


とまあ、個人的にはこんな感じなのではないかなと思います。この中で『フリクリ オルタナ』に最も欠けていたもの。それは「思春期の少年」ではないでしょうか?この要素が欠ける事によって、旧作の要素(と、私が思っている事)の半分が失われてしまいます。「一体いつになったら、カナブンのおデコからテレビ君が出現して戦うんだ?」とヤキモキした方も多いでしょう。これは旧作のノリを期待してしまうとなかなかに厳しい変更要素です。


『スクリプ』

前述の通り、本作は6話構成のOVAです。旧作と違ってその都度エンディングは流れませんが、各話毎にアイキャッチとサブタイが挟まれます。構成としては、1話から「導入」「ヒジリー編」「モッさん編」「カナブン編」「ペッツ編」「終幕」という感じです。これを一気観するわけで、かなり体力を持って行かれますね。…で、持って行かれるんですが、個人的な心象としては各話毎の起承転結というか、喜怒哀楽のテンションの幅が小さく、全体的に単調な印象を受けました。旧作のようにナオ太のロボットが敵を倒してマミ美を助けるといった展開なら、バトルと主人公の感情がシンクロして画的にもっとわかりやすくなったと思うのですが、本作では基本的にバトルはハル子の役目です。彼女の考え方にカナブンが徐々に影響されていくのですが、この「モヤっとしてる」感じが終盤まで続くので、ハル子のバトルが派手でもイマイチノリ切れない印象を受けるのではないかなと思います。


『オシジェケ』

推しというか、一番安心して観ていられたのはヒジリーですね。最初に個別回があった事でその後のキャラが安定していた事もあり、最も観客の目線に近いキャラでもあったと思います。「モッさん編」で空回るカナブンに対し「あー…、なんか良い挿入歌が流れてるけど、これそろそろ爆弾が爆発するなー…」って思いながら観たりして。あと、素に戻った3話以降は、意外と純情な面をところどころで見せていたり。また、旧作では未成年であるマミ美の喫煙シーンがありますが、諸々の表現規制の例に漏れず、本作ではそういう場面はありません。が、私の見間違いでなければ、1話のハム館でたむろしてるシーンで、ペッツが火の付いてない煙草(ポッキーではなかったと思う)を口にしているシーンがあったと思います。この時点で「あ、この娘大人しそうだけど何かあるな?」と気付く人は気付くのではないかなと。


『ユリクリ』

さて、やっぱり何かあった「ペッツ編」なわけですが、幼馴染みの友情から別れを描く中で、ラストが髪留めの交換に留まってしまった事は物足りない印象を受けました。ヒジリーはペンを、モッさんはハンカチをそれぞれペッツと交換していて(ペッツとしては別れの準備だったのでしょう)、特別感が薄れてしまっているんですよね。交換するならカナブンだけにすべきだったと思いますし、あるいは、もっと「ユリクリ」に突き抜けてしまったとしても、『フリクリ』であれば許されたのではないかなと。この作品なら、例えば愛憎を吐露した上でディープキスくらいしても許されそうじゃないですか?この描写に限った話ではないのですが、本作は旧作の表現や雰囲気を踏襲してはいますが、あたまおかしい(褒め言葉)レベルで壊れていた旧作と異なり、なんとなく制作陣が上品さというか、小っ恥ずかしさを捨て切れてない気がしました。話が逸れますが、ぶっちゃけると、旧作の下ネタ要素の大半は、主人公が少年であったから成立していたと思っています。同様の設定をセブンティーンの女子高生に適応しても、同じような感覚を得る事は難しいですし、ソッチに振り切っても下品な感じになりそうです。だからこそ「ユリクリ」に落とし込めれば…と、期待したわけですが。


『スコフシ』

旧作のSF描写に関しては、オペレーターのお姉ちゃんが興奮のあまり鼻血噴きながら色々と解説してくれたりもしましたが、本作ではハル子と神田の会話の中で断片的に語られるに留まっています(どうでもいいけど、入国管理局のオッちゃんの眉毛が海苔じゃないのが物足りなく感じてしまう)。カナブンのおデコの設定やアイロンは、基本的に前作の設定を踏襲しているとは思いますが、自分の見落としていなければ、詳細な時系列や前作との繋がりは不明です。アマラオも出てこないですし、本作では当初アイロンが出現していない為、旧作の前日譚なのか別の宇宙の話なのかは判然としません。本作ラストでハル子が時空の歪みに引き摺り込まれて分裂したかのような描写がありましたが、そういった謎は『フリクリ プログレ』に持ち越しなのかもしれません。

 

フリクリ プログレ』の感想は↓コチラ

つまりは『フリクリ』ってなんだ!?『フリクリ プログレ』感想 - 六連星手芸部員が何か書くよ

素晴らしきボーイミーツお姉さん『ペンギン・ハイウェイ』感想

『ペンギン・ハイウェイ』 スペシャルトレーラー - YouTube

 

学生時代の自主制作作品、『フミコの告白』と『rain town』で文化庁メディア芸術祭で2年連続受賞された石田祐康監督の、そしてスタジオコロリドの初長編作品『ペンギン・ハイウェイ』を観てきました。静動からリアルデフォルメまで、アニメーションの引き出しが物凄く広くて、全編通して全く飽きさせない素晴らしいアニメーションでした。夢パートの超作画とか『フミコの告白』を彷彿とさせるペンギンたちの疾走とか、色々と語りたい場面はありますが、とりわけ言及しておきたいのが「ペンギンサーカスの団長になれますよ」とアオヤマくんがお姉さんに言った次の瞬間、ペンギンたちでサーカス(アニメ演出技法)を描いたシーンですね。どのシーンもアニメで語ってます。もう、アニメが好きなら観てくれって感じです。以下、幾つかのテーマをピックアップして書いていきます。


・なぜ“おっぱい”が強調されるのか

アオヤマくん、いったい劇中で何回「おっぱい」って言ったんだろうって思うと同時に、なんであんなにお姉さんのおっぱいが強調されるんだろうと考えたんですが、お姉さんが歯科医院勤めなのを見て納得しました。お姉さんは歯医者さんではないですが、子供の頃に歯科で診察や治療を受ける時って、担当の方が若い女性の歯科医さんだった時に、こう…ね?そういう事ありませんでしたか?そのイメージからきてるんじゃないかなと思うんですよ。それにしても1日30分おっぱいの事を考えるのを公言するのは、子供の頃の黒歴史になっちゃう気がして後が怖い。そして、気にするの早過ぎなハマモトさんを前にして、大声で「おっぱい!!」って叫んじゃうアオヤマくん(厳密には気にしてるのはそういう事ではないですが)。アオヤマくんはお姉さんに夢中な事を冒頭から言っているので不快感とかはないんですが、他の女の子(というかハマモトさん)の乙女心にも気付いてあげてって感じです。でも、そこが子どもっぽくて良いですね。ある意味、ウチダくん(CV釘宮理恵さん、ここ重要)の方が俗世的な事に関してはアオヤマくんより大人であったと言えます。


・ハマモトさん可愛いよハマモトさん

全国のアオヤマくんがお姉さんに恋し始めて、それで全国のハマモトさんが泣くような事があったらどうしてくれるんだと思いました。半分冗談ですが、半分本気で。逆にリアル小学生は、ハマモトさんのいじらしい可愛さがわからないんじゃないかなぁ…。お姉さんに嫉妬して、感情表現豊かで、一生許さないとか、許せるかわかんないとか、でも、アオヤマくんがデリカシーの無さ全開で「合理的に想いを伝えるべきだよ」とかズカズカ言っていたように、肝心な事は言えなくて。チェスが超強くて相対性理論の本なんかも読んじゃうんですけど、どっちかというとフィールドワークタイプの研究者で、公私共にアクティブな知的なお転婆

ハマモトさんの魅力、わかるか?少年。アオヤマくん、そういうところだぞお前アオヤマくん。


・世界のヘンテコと謎解きについて

劇中で度々、今作の謎は相対性理論や『鏡の国のアリス』に関係あるモノである事が示唆されています。また、アオヤマくんのお父さんが「世界の果てが袋の内側にある」可能性について言及していますが、これがそのまま「海」の答えになっていましたね。ペン太が消えてしまった事とそのシチュエーションそのままをお姉さんで繰り返した事や、アオヤマくんにナスのナポリタンを振る舞いながら自分は口を付けていなかったお姉さんの描写など、謎解きの過程は丁寧に描かれていました。一つ惜しいなと思ったのがお父さんにアドバイスをもらっていたエウレカのシーンで、パズルを頭の中で組み立ててしまっていた点について、小学生なら大きな方眼紙に自由研究みたいに書いて欲しかったなと思います。でも、自分が演出で気になったのはここくらいでした。


・妹が見た夢、そのメタファ

映画を観てる最中は、アオヤマくんの妹(CV久野美咲さん。ここ重要、テストに出ます)が見た夢について、その内容はわかったんですが、このエピソードが挿入される意図までは解釈し切れませんでした(夢とは言及されてませんが多分そう)。一見すると唐突な、しかし、子供であれば誰もが経験するであろうこのエピソード。でも、よくよく考えてみると、妹が見たというお母さんが死んでしまう夢の情景は、おそらく、アオヤマくんが見た夢の情景と同様のモノであったのだろうと思います(夢パート作画:押山清高(!!)、橋爪陽平(新人さんみたいです))。つまり、お姉さんが消えてしまう夢の情景について、ありのままに感情を表出しないアオヤマくんに代わって、妹がその感情を表出して、その気持ちをアオヤマくんに汲み取らせる事で、自分の事としても整理させている…のではないかなと思います。アオヤマくんはこの恐怖に対して、クライマックスで立ち向かいながらお姉さんの元へと向かったわけですね。「泣くな、少年」って、幾らアオヤマくんでも、それは無理というものです。


・ボーイミーツお姉さん

お姉さんは小学生目線の方が魅力的に思えるかもしれません。そして憎いかな、この映画には観る人を子どもの感覚に誘う仕掛けがあるように思います。田んぼの畦道とか裏道の用水路側とか、「あー、無駄に遠回りしてこういうところ通ったなぁ…」って思ったら終わりです。この時、あなたはもう子ども。

で、ここからが肝心な話なのですが、この作品のジャンルは厳密にはおねショタではないと思うのです。この作品のジャンルは、SF、ジュブナイル、そして、ボーイミーツお姉さん。この作品、お姉さんが積極的にアオヤマくんにちょっかい出していくようなシナリオではないんですよね。お姉さんと関わった事で、アオヤマくんが世界のヘンテコに観察や実験などの科学的手法と漢気で立ち向かっていく物語です。


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