六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

今月の料理 2016年11月

twitterにアップしたモノから抜粋。せっかくなので残してく事にした。何百匹も魚捌いてきて、ようやくお造りの盛り付けをどうすれば良いか分かってきたという。

 

煮込みハンバーグ

f:id:cerberus_cs:20161119230750j:plain

ローストポーク

f:id:cerberus_cs:20161119212557j:plain

鳥はむラーメン

f:id:cerberus_cs:20161119213110j:plain

豆アジの南蛮漬け

f:id:cerberus_cs:20161119212856j:plain

秋刀魚の握りとお造り

f:id:cerberus_cs:20161119230854j:plain

クリームボックスっぽいの

f:id:cerberus_cs:20161120121438j:plain

アジの握りとお造り、なめろう

f:id:cerberus_cs:20161120221029j:plain

f:id:cerberus_cs:20161120221112j:plain

手羽餃子

f:id:cerberus_cs:20161127203551j:plain

おいもあいす

f:id:cerberus_cs:20161129034553j:plain

 

 

『株式会社カラー10周年記念展』見どころレビュー

f:id:cerberus_cs:20161123232352j:plain

『株式会社カラー10周年記念展』に行って来ました。 11時ギリギリの到着で、13時からの入場整理券に滑り込み。2日目からはどうなるかは分かりませんが時間に余裕を持って行った方が良いと思います。写真撮影はOKですが、接写はNGです。ただ、写真だと凄味がイマイチ伝わらないのでここでは殆ど掲載しません。是非観に行って下さい。

f:id:cerberus_cs:20161123232413j:plain

展示スペースは大きく分けて下記の通りです。

ヱヴァンゲリヲン(序、破、Q、その他雑誌表紙等の原画、設定資料、イメージボード等)

②10周年記念作品『おおきなカブ』(数分の短編作品を常時上映、及び、設定資料や原画) 

③特撮展示(『シン・ゴジラ』雛形、『巨神兵』撮影用スーツ、特撮博物館保存資料)

④アニメーター見本市(カラーが制作に関わった作品をモニターで常時再生、原画や設定資料等)

⑤物販コーナー(会場限定のTシャツやカレンダー、その他、エヴァストアで取り扱われているグッズ)

 

①原画や設定資料は書籍では小さなサイズで収録されているようなモノに関しても、用紙を何枚も貼り合わせて描かれた原画やイメージボードをオリジナルのサイズで見ることが出来ます。写真はQのラストシーン、実際の絵は写真よりも奥行きというか凄味がありましたね。

f:id:cerberus_cs:20161123233535j:plain

f:id:cerberus_cs:20161123233612j:plain

安野モヨコさんのエッセイ漫画『監督不行届』の番外編です。今回の10周年記念展の為に描き下ろされた漫画は来場特典の冊子に掲載されている他、会場にも原画が展示されています。肉も魚も食べないおじいさんが自分で食べる野菜を作る為、仲間たちと畑を耕すことになった、というお話です。本気でジーンとくる内容でしたが、超・おじいさんが登場した場面ではかなり笑い声が上がってましたね。この作品を観るだけでも行ってみる価値があるのではないでしょうか? https://twitter.com/virtualboys/status/801432575487029248

f:id:cerberus_cs:20161123233358j:plain

③最大の目玉はやはりゴジラの雛形。しかし、特典冊子の監督インタビューを読むとその他の特撮資料に対する見方が変わるのではないかと思います。ウルトラマンは何も監督の趣味で展示されているわけではなく、特撮というジャンルの今後にとってかなり切羽詰まった状況に立たされているが為の展示なのです。あと、当然のように丁重に扱われている電柱のミニチュア。

f:id:cerberus_cs:20161124083102j:plain

④最新作『機動警察パトレイバー REBOOT』まで、カラーが制作に関わった作品の資料が展示されています。本編映像も常時再生されていますがスピーカー越しによる音声の聞き取りには限度があるので、あくまで、視聴をしながら展示してある原画と比較してみよう、という趣旨なのではないかなと思います。

 ⑤かなりの人集りで、自分は何も買わずに出てしまったので割愛。以前持っていたネルフのマグカップを割ってしまいそれから買い直していないので、そのうちエヴァストアには行きたいと思ってます。 

物販ではないですが、来場特典冊子はかなり中身が濃いです。これだけでも500円じゃ買えないレベルの代物になってます。どのスタッフへのインタビュー記事もアニメ制作の現場についてかなり踏み込んで書かれているので、とても読み応えがありました。個人的な感想ですが、『おおきなカブ』では作品を畑で採れるカブに見立てストーリーが展開されたわけなのですが、自分は、アニメって料理みたいなモノだと思ってます。レシピを書いて(脚本やコンテ)、調理器具を準備して(画材やソフトウェア)、お皿を用意して(背景)、食材を採ってきて(原画)、ソースをかけて(色彩設計)、調味料を振って(効果音)、そして、調理するシェフがいる(監督)…というように。で、特撮資料の保存の話とも関係するんですけど、アニメ業界もそれらの作品を構成するモノに対してもっと価値を付けていくべきだと思うんですね。昔の作品の原画は処分されていたなんて話を聞くと、「そんな!!勿体無いじゃん、売ってくれよ!!」って思うファンの人は多いのではないでしょうか。脚本もコンテも原画もアニメになる前の食材として味わってみたい、自分はそんな風に思ったりするわけです。だから、こういう展示企画も楽しいのではないかな、って。

f:id:cerberus_cs:20161123233721j:plain

最後に、超・おじいさんからの御祝い。

f:id:cerberus_cs:20161123232614j:plain

王道ファンタジー『魔法使いの嫁』その魅力

f:id:cerberus_cs:20161109214818p:plain
「羽鳥チセ15歳。身寄りもなく、生きる希望も術も持たぬ彼女を金で買ったのはヒト為らざる魔法使いだった……。」
公式サイト紹介文より。

たまには、じっくりと作品の紹介でも。最初は、最近推している『魔法使いの嫁』から。

世界観
現代のイングランド、絶滅寸前とも言われる魔法使いの世界。生きることへの希望を失ったチセが、オークションへ自らの身を委ねる事から物語が始まる。作者は『ハリーポッター』シリーズに影響を受けているとコメントしているが、個人的には『ゲド戦記』の雰囲気に近いように思う。魔法使いや魔術師が集まる学院(カレッジ)の存在は言及されているが、今はまだエリアスに師事し、魔法だけでなく世界の有様を学んでいる段階。描かれる世界の理や情景の緻密さによって、ファンタジーでありながら、この世界が確かに存在すると思える、それが大きな魅力であると思う。
f:id:cerberus_cs:20161109214023p:plain

魔法
世界の理に直接アクセスし、手順を飛ばして結果を引き出す力とされる。代償として魔法力を必要とするが、これを隣人達(妖精)に借りる事で、これを行使する。借りなくても可能だが、負荷が大きい。
チセは周囲の魔法力を集める"夜の愛し仔"と呼ばれる特異体質であり、その無尽蔵の魔法力を実験、研究の為に利用しようと、魔法使いや魔術師によって狙われる立場にある。
f:id:cerberus_cs:20161109214428p:plain

魔法使いと魔術師
劇中では、前者はパソコンのシステムへのアクセス権限持ち、後者はハッカーと比喩される。最高レベルの技術を持つハッカーは、実際にウィザードと呼称される事があるが、それを逆輸入した形での説明。なお、劇中では未だ言及されていないが、タイトルより魔法使いの英語表記は東方の三賢人の語源でもある、祭祀階級を指す言葉、Magiであるようだ。物語の中では、ところどころ、かんたんエリアスとでも呼称すべきデフォルメ絵により、こういったコミカルな説明が入る。
f:id:cerberus_cs:20161109214156p:plain

キャラクター
2人の行く末にも注目だが、古き神や妖精(隣人達)、人目に止まらない魔法の生物等、世界観を彩る様々なキャラクターが登場する。
f:id:cerberus_cs:20161109214243p:plain
f:id:cerberus_cs:20161109214259p:plain

ことば
最後に、個人的には、世界観と並ぶほどのこの作品の大きな魅力であると思う。隣人達を寄せ付ける体質の為、家族が離散したチセ。異形の存在として、ヒトの気持ちがわからないというエリアス。異なる理由で互いの心に踏み込む事が出来ない2人だが、周囲の後押しや迫り来る危機を前に、コミュニケーションが不得意であるが故のストレートな気持ちを、ゆっくりと言葉にしていく。
f:id:cerberus_cs:20161109214336p:plain

魔法使いの嫁』お薦めです。

『君の名は。』気になった演出箇条書き

君の名は。』については、SF考証やシナリオの解釈等、小難しい話ばかり書いていたので、ちょっと息抜きに、細々とした気になった演出について書いていく。ネタバレOKという方は下記へスクロール。




















・瀧の手の平に書かれた「みつは」
終盤、三葉が瀧の手の平に名前を書く前にカタワレ時は終わり、それは叶わなかった。しかし、最初の入れ替わりの時、実は三葉は瀧の手の平に名前を書いている。初見だと何とも思わないシーンだが、2週目だと…。

・笑いが起こるシーン
生写真付き巫女の口噛み酒、「あいつに悪いか…」からのいつもの、おっぱい揉んで感涙する瀧とドン引きする四葉、共通してるのはこの辺。

ブラックベリー花言葉
お婆ちゃんと四葉と一緒に御神体に行く途中、お茶を飲むシーンの画面右端に映り込んでるブラックベリー(と思われる植物)。花言葉は「人を思いやる心、あなたと共に、素朴の愛、孤独、嫉妬」。それぞれ三葉の心情とよくリンクしてると思う。この時の三葉は、ちょうど奥寺先輩とデートの約束を取り付けているハズだ。植物にあまり詳しくないので、他にどんなモノが描かれているか分からないが、アニメの画 面に映り込むという事は、何らかの意味を持たせての事だろうと思う。

・デートコースの選定
奥寺先輩の反応から、昼食を食べたカフェを選んだのは彼女ではない事がわかる。また、瀧でもないようだ。デートコースの選定が三葉だとすれば、郷愁写真展を選んだのもそうだという事になる。

・繰り返される月のカット
瀧が三葉に電話をかけた時に電線に裂かれている満月、飛騨へ向かう瀧の三日月のTシャツ、御神体で三葉に再会した時、瀧が手を伸ばした薄い三日月。これらは2人の距離のメタファか。

・『なんでもないや』歌の入りでの暗転
前奏時、登場人物のその後が数秒ずつ挿入され、四葉のカットの直後に画面が一瞬暗転し、瀧と三葉のシーンに切り替わる。ここでスタッフロールか…と思わせてからのエピローグ。狙ってやってるとしか思えない。

・瀧の涙
2人がカタワレ時の御神体で再会した時、ポロポロと涙を流して喜んだ三葉に対し、柔らかく微笑んで見せた瀧。しかし、御神体に辿り着いた時、再び入れ替わった時、3年前に三葉に出会った事を回想した時、瀧は結構な頻度で彼女を想って泣いている。そんな瀧が三葉の前で初めて涙を見せたのは…。

※何か思い出したり思いついたりしたら順次追加していく。

超ひも理論と神隠し、隠り世の宇宙が紡ぐ交換日記『君の名は。』考察と感想 修正版

大筋の内容は前回の記事と変わりませんが、あの記事を書いた段階では、まだ映画を一回観ただけで、小説版すら未読という状態だった為、記憶違いや時系列に関する勘違いがありました。それを修正して但書を付けていく作業を続けても、だんだん読み辛くなっていきますし、またあれから考える事もあった為、別記事として残します。例によってネタバレ全開なので、未視聴の方は注意して下さい。今回は『another side』のネタバレも含みます。なお、前回の記事はコチラです。↓
ker-cs.hatenablog.com




















まず、自分が観た上でのシナリオの流れと解釈はこうです
・三葉の時間で瀧との入れ替わり生活が始まる
・三葉、瀧と奥寺先輩のデートを取り持ち、涙を流す
・三葉、瀧に会いに上京し、3年前の瀧に組紐の髪留めを渡す
・三葉、彗星が落ち、隠り世で瀧を待つ
・瀧、彗星が落ちる景色を観る
・瀧の時間で三葉との入れ替わり生活が始まる
・瀧、奥寺先輩とのデートで訪れた写真展で、三葉の住む場所が飛騨である事を知る
・2人の入れ替わり生活が唐突に終わる
・瀧、三葉に会いに飛騨へ向かい、彼女が、もういない事を知る
・瀧、御神体で三葉の口噛み酒を飲み、隠り世へ入る
・再び入れ替わり、瀧、彗星の落下から住民を避難させる為に奔走する
・瀧と三葉が黄昏時の隠り世で出会い、瀧が三葉に髪留めを返す
・三葉が奔走し、その後、彗星が落ちる
・2人は隠り世から現世に戻り、お互いの名前と入れ替わりの記憶を失う
・瀧の時間で5年後、2人は再会する

上記について補足していきます。まず、下のカットから分かるように、星が落ちて三葉がいなくなった世界でも、彼女は髪を切り、髪留めを付けていません。劇中で彼女の友人が言っていたように、瀧と奥寺先輩のデートを後押しした事で失恋し、それで髪を切ったのでしょうか?そして、瀧に会うことは出来なかった為に、彗星が落ちて死んでしまったのでしょうか?これは違うと思います。なぜなら三葉がいなくなった世界でも、瀧は彼女の髪留めを持っているからです。三葉は、彼女がいなくなった世界でも、瀧に会って髪留めを渡しているハズです。
f:id:cerberus_cs:20160829145631j:plain

あらすじの中で自分は、三葉が隠り世で瀧を待っていた、と書きました。これは、この作品の根幹を支えるSF理論が、いわゆるタイムパラドックスとは少々異なると考えた為です。その説明は、劇中で一葉おばあちゃんから語られた事が、そのまま答えになっていると思います。まず、御神体へ口噛み酒を御供えする道中、おばあちゃんは、「よりあつまって形を作り 、捻れて絡まって 、時には戻って 、途切れ 、またつながり 。それが組紐 。それが時間 。それが 、ムスビ 」と時間の流れの様を組紐に例えて語っています。これはSF作品においてパラレルワールドの説明にも用いられる、"超弦理論(超ひも理論)"を指していると考えられます。
超弦理論とはいったいどんなものなのか、ざっくり言えば、素粒子を一本のひもとして考え、高次の次元をそのひもの中に巻き込まれたものとして考える、というモノです。また、オープニングで歌われた『夢灯籠』の歌詞の一節「5次元にからかわれて」の5次元とは、超弦理論で取り扱われる、空間を指す3次元に時間を加えた4次元、それらの高次元にあたる"別の宇宙"を指していると思われます。それが、SF作品においては、パラレルワールドとして扱われたりするわけです。超弦理論の予想によれば、高次の宇宙を支配する法則は、この宇宙の法則とは全く異なるらしいのですが、それは逆に、後述で説明する世界の特徴と一致していると言えます。※超弦理論に関しては、この作品に関連するところだけピックアップして記述しています。全貌が気になる方は、是非、調べてみて下さい。
さて、次におばあちゃんは、隠り世について話をしました。これは、日本神話にも表れる"現世と幽世"の話そのままです。幽世には現世とは違う時間が流れているといいます。どちらの話も劇中で同一人物から語られた事から、一貫性が示唆されていると思います。そして、これらの話を統合して考えると、本作においては、この隠り世こそが高次の別の宇宙に当たるのではないでしょうか?ところで、カクリヨの表記について、"隠り世"と"幽世"と定まっていませんが、これはミスというわけではなく、小説版を読むまでは、自分は"幽世"の方の表記だと思っていました。文字通り、死者の世界としての意味合いが強い表記です。しかし、小説版を読み、劇中の表記が"隠り世"であると知った事で、その意味合いはやはり、死者の世界とは異なるモノだという認識が強まりました。また、口噛み酒を飲んだ瀧が見たイメージの中で、彗星が龍の形を取る場面があります。『another side』によると、宮水神社が本来祀っていた神とは、この彗星であり龍でした。この解釈が劇中においても適用されているのであれば、彗星によって糸守にもたらされた災害とは、すなわち、神によって人々が隠り世に連れていかれた事、と置き換えることが出来るのではないでしょうか。つまり、神である彗星による神隠しです。劇中で三葉は、瀧との入れ替わりによって3年後の糸守の有様を目の当たりにした時、彗星が落ちた時の事を回想しています。つまり、あれは既に起こった事なんです。劇中で描かれた三葉の暮らす世界とは、現実の3年前の世界ではなく、隠り世の世界だったのではないでしょうか?小説版第六章のタイトルは「再演」となっています。糸守に彗星が落ちるのは、1200年前から数えて2度目ではなく、実は、3度目だったのではないでしょうか?

タイムパラドックスと少々異なると言った理由ですが、瀧が最後に御神体の側で目を覚ました時、彼が三葉の名前はおろか、彼女との事を覚えていなかったからです。一見すると、三葉と瀧の入れ替わりをキッカケとして、彼女が瀧に会いに行き縁が結ばれる、というタイムパラドックスが原因のように思えます。しかし、三葉の運命が変わったのは、彗星が落ちた後の話であり、その前の入れ替わりの出来事の記憶は消えないハズです。この事から自分は、2人が記憶を失っているのは、時間を隔てて縁が結ばれたからではなく、現世と隠り世を隔てて縁が結ばれたからだと考えました。原因はタイムパラドックスではなく、隠り世での事を現世に持って来られなかった為ではないでしょうか?実際、劇中でもおばあちゃんが、「此岸に戻るには」「あんたたちの一等大切なもんを引き換えにせにゃいかんよ 」 と語っています。これは、あの時の2人にとって、互いに結んだ関係性以外に有り得ません。
黄昏時では隠り世の人に出会えるともいいます。御神体の側で瀧と三葉が出会った時、背景の隕石湖は一つだけでした。つまり、瀧が三葉の世界に足を踏み入れています。瀧がこの時出会ったのは、時の流れが異なる隠り世で、彼を待ち続けていた三葉だったのではないでしょうか?

自分は、以前の記事で2人の関係について、"交換日記から始まる遠距離恋愛"と比喩しました。この比喩の意味するところは、言った自分でも最初はよく分かっていませんでした。入れ替わり生活を通して互いの事を深く知り、その時の出来事を日記に付けていた事を指して、文通での交換日記を通して互いに惹かれていく様のようだ、と、そう表現していました。しかし、劇中で瀧が三葉に出会った時、「凄く遠いところにいた」と言っていた意味を考えた時、自分が遠距離恋愛と表現した意味がわかりました。これは"新宿と飛騨"という物理的な距離や"3年"という時間的な距離ではなく、それ以上に、"現世と隠り世"という霊的な距離を指していたのではないでしょうか?本当にどうしようもなく遠い距離です。ただし、上記で考察した通り、この作品において隠り世とは、死者の世界ではなく、神話の中に表れる"神に隠された世界"であり、同時に、超弦理論が示す"高次の宇宙"であると思われます。それは、黄昏時という言葉が示す通り、昼でも夜でもない曖昧な状態の時間であり、"シュレディンガーの猫"のような、可能性の定まっていない重なり合った世界なのではないでしょうか?
f:id:cerberus_cs:20160829145705j:plain
これを踏まえると、三葉が瀧と奥寺先輩のデートを後押しした時、「今日のデート、私が行くハズだったのにな…」と言って涙する意味の重みが大きく変わってきます。初見だと、"本当は、私が瀧くんとデートしたかったのにな…"と捉えられる場面ですが、実際は、もっとどうしようもない感覚に対する涙であったように思います。そして、上京した三葉が電車に乗る瀧を見つけ、赤面して俯きながら「瀧くん…。瀧くん…。」と繰り返し呟く場面。本当に愛おしそうに、何回も名前を呟く場面。この時、彼女にあったのは、この広い東京で彼に出会えるわけがなかったのに、という思いではなく、同じように、もっとどうしようもない感覚だったのかもしれません。ただ、あの時2人が出会えた理由も、その感覚と同じ理由なのではないかと思います。あの時は、ひょっとすると黄昏時だったのではないでしょうか?
f:id:cerberus_cs:20160829145803j:plain

これらの2つの場面が、自分には物凄く心に刺さったように思えました。その理由をこうして考えてみた次第です。そうして、"三葉は瀧を隠り世でずっと待ち続けていた"という考えに行き着いた時に、どうしてここまで、自分がこの作品に惹かれるのかがわかった気がしました。ただし、色々と理屈を組み立てましたが、三葉の世界のどこまでが現実で、どこからが隠り世での事なのか、言っている自分でも、正直、境界はよくわかりません。ただ、過去に戻って死者の運命を変えると考えるより、隠り世にまで赴いて神隠しに逢った大切な人を助けると考えた方が、劇中の描写や現実にある理論に則しているように思えたし、日本特有のファンタジーとして綺麗なんじゃないか、そう思ったに過ぎません。理屈抜きで運命の赤い糸の一言で全てを片付けても、それでも良いんじゃないかと思います。

最後に、三葉は瀧に恋したから、彗星が落ちるその前に彼に会いに行って、それで縁が結ばれたんです。そうして結ばれた縁から、彗星が落ちるその前に、彼女に恋した瀧が三葉に会いに来たんです。色々と理屈をこね回しましたが、それが何よりも良かったんです。すべてがこの一点に収束するよう、リアリティではなく、説得力を持っていた事が良かったんです。これはまさしく、新海誠監督が描いてきた"セカイ系"の系譜にある作品だと思います。

追記:映画の公開日である8月26日は、超弦理論を統合したM理論の提唱者"Edward Witten(エドワード・ウィッテン)"の誕生日だそうです。不思議な縁ですね。SFというジャンルがもっと面白く、間口の広いものでありますように。

アルコール依存症で死ぬという事

自分は一切お酒を飲みません。冠婚葬祭いずれの場であってもです。

別にコレを他人に強要なんてしません。自分が見た事を反面教師にして、自分に対して強迫的に課しているだけです。ただ、そういう話もあるんだ、くらいで思ってもらえればそれで良いです。

長ったらしいあらすじは書きません。単刀直入に言って、実家は父親のアルコール依存症で家庭崩壊状態でした。

手術と入退院を繰り返し、その度に夫婦揃って「ああ良かった治ったよ」なんて言いながら、甲斐甲斐しく晩酌して酒を呑ませ、また再発を繰り返すその様は、まるでグリム童話の中で食事に少しずつ毒を盛る魔女のように見えました。あるいは、現実で見られるそういった光景やその時に誰かが味わった気分が、物語に登場する魔女のモチーフなのかもしれません。いずれにせよ、自分には到底理解の及ばない狂気に満ちた光景と価値観でした。


いよいよ病状が進行し癌で胃を全摘出した事で、アルコールを摂取する事が不可能になりました。余命は短いながらようやく真っ当な余生が訪れたんだなと、その時はそう思いました。以前と違って素面だし、胃は無くなったけれど食事は前よりも取っていたくらいでした。
ただ、そんな状態も長くは続かず外科手術不可能な癌が再発しました。それだけなら今日明日中にどうにかなる問題じゃない、そう高を括っていましたが、程なくして危篤だと聞いた時はもう何が起きたのかは察しは付いていました。抗癌剤治療の副作用で完全な寝た切り状態となり、癌を抱えた状態であったとしても真っ当に生きられるハズだった余生は全て喪われてしまいました。抗癌剤の投与にあたって副作用やリスクの説明は多少はあったらしいのですが、本人達は内容は理解していなかったとの事でした。この時自分は、晩酌が甲斐甲斐しく続けられていたあの時から実際は何も変わっていなかったんだと悟りました。
生命に対する価値観や考え方に、ここまで大きな開きがあるとは思っていませんでした。そんな大事な事をサッサと決めてしまえる家族も医者も、自分には全てが狂っているように見えました。残された寿命がどれだけあるのか、いや、もはや寿命があるだけに過ぎないわけですが、幸福を対価にして狂気に生きる事に自分は何の共感も持てないんです。(ここでいう幸福も狂気も、あくまで私の価値観に過ぎないわけですが)


サン=テグジュペリの『星の王子さま』に登場する酔っ払いは、「忘れるために飲んでいる」「恥じている事を忘れるために飲んでいる」「飲む事を恥じている!!」と言って、それきり黙ってしまいました。実際はどうなんでしょうか?狂気に身を置いている事を忘れる為に飲むんでしょうか?最初の狂気は、いったい何だったんでしょうか?

アニメ『甘々と稲妻』再現料理集

アニメ『甘々と稲妻』劇中でメインで扱われた料理、全品再現です。

レシピは原作に載っているので、是非買いましょう!!

甘々と稲妻 (全12巻) Kindle版

3巻までKindle Unlimited(初回30日間無料体験)対象です。

 

2話「豚汁」

f:id:cerberus_cs:20160806121820j:plain

3話「煮込みハンバーグ」

f:id:cerberus_cs:20160806121850j:plain

4話「コロコログラタン」

f:id:cerberus_cs:20160806121949j:plain

5話「ドーナツ(プレーン、チョコレート、ハニーシュガー)」

f:id:cerberus_cs:20160806122010j:plain

6話「焼き餃子、水餃子、手羽餃子」

f:id:cerberus_cs:20160812131209j:plain

7話「五平餅」

f:id:cerberus_cs:20160824081153j:plain

8話「イカと里芋の煮物」

f:id:cerberus_cs:20160825041147j:plain

9話「うちのおうちカレー」

f:id:cerberus_cs:20160901063032j:plain

10話「アジッ!!」

f:id:cerberus_cs:20160907232830j:plain

 11話「さつまいもクレープ」

f:id:cerberus_cs:20160919224140j:plain

 12話「あいじょーたっぷりお好み焼き」

f:id:cerberus_cs:20160922225406j:plain

 

では、2期が放送されたらその時にまた。