最近のTwitterのタイムライン表示に「フォローユーザーのいいねが表示される」という仕様に対して、非常に違和感を覚えていた事があり、それに、一定の結論が得られた為に備忘録として残します。
※以下、タイムライン:TL、リツイート:RT、いいね:Fav、と表記します。
まず、ここで本題に入る前に、この記事をまとめるに至った経緯や考えを書きます。一見、無関係とも思える内容ですがご容赦下さい。
さて、いきなり穏やかで無い話をしますが、自分は物語の残酷さを表現する為に、必ずしも描写は残虐である必要は無いと考えています。耐性が無い人が見られない、読めない、想像の余地が消えてしまう、等という理由からです。しかし、最近はたと気付いた事なのですが、『人狼-JINROH-』とか『もののけ姫』とか、その残虐な表現そのものが一定の水準以上の描写をされた場合、たとえ描写が残虐であっても許容している節があるのです。ここで言う一定水準以上の描写というのは、表現として不適切かもしれませんし、こいつ何言ってるんだ?と不快に思う方がいるかもしれませんが、多分“美しい“という主観が最も近いと思います。『イノセンス』で返り血を浴びたハダリとか、『るろうに剣心-追憶編-』の殺陣とか、ああいうのです。共感出来ない方も多いと思いますが、例えば、ガンダムの最終話でボロボロになったモビルスーツは美しい、みたいな感覚が近いかもしれません(※あくまでフィクションの話です。飛躍しないで下さい。現実での残虐な事柄を娯楽として扱う事、つまりワイドショーがそうですが、ああいったモノは反吐がでるほど嫌悪してますし軽蔑してます)。
話を戻して、何故こんな事を最初に言い出したかというと、あくまで突出した作品の残虐描写は芸術の一環として認識出来る為に、嫌悪感が上塗りされているというだけで、本来、嗜好としての暴力描写は嫌いだし、不快に思っているという事です。これはあくまで自分自身の感性の問題であって、別に、フィクションに対してそういう嗜好を持っていても良いと思っているのですが、そういった嗜好を発表する場は選んで欲しいとは思っています。とは言え、鍵アカにして一々年齢確認して承認しろ、なんて要求するつもりはサラサラありません。定型文の注意書きをサクッとコピペして、外部サイトのリンク貼るくらいで全然問題無いと思ってます。
さて、上記を踏まえた上でようやく本題のTwitterの仕様についてですが、現在のTwitterのTLには、自分とフォローしている人のツイート、両者のRT、そして広告の他に、フォローしている人のFavが表示されますよね?これに強い違和感を覚えるのです。どういう事かと言うと、本来、Fav欄は公開情報であり、相手が鍵アカで無い限りは、見に行こうと思えば誰でも自由に閲覧が可能です。実際にそれで閲覧しに行く人がどれだけいるかは分かりませんが、その判断はあくまでユーザー個人に委ねられていました。しかし、現在の仕様においては、それらを直近のモノからランダム(?)に引っ張り出してTLに表示し、他のユーザーに対して「ほらほら見て見て!!この人こんな嗜好なの!!」と開けっぴろげにしています。公開情報に対して何を言っているのか、と、思われる方もいるかもしれませんが、そこで上記の残虐表現です。
Twitter上でフォローしている対象というのは、あくまでその人が表出する感性や表現であって、普段表に出さない趣味嗜好にまで共感している人はそうは居ないのではないかと思います。これは、リアルの人間関係でもそうだと思いますが、そういった積極的に表に出さないモノ(今回の場合、暴力的だったり残虐であったりする表現)を見せられても、共感出来なかったり、嫌になる場合もありますよね?そういったモノが、FavがTLに表示される事によって、意図せずに可視化されるようになった、これが最近のTwitterの仕様に対して自分が感じている違和感です。おそらく、FF内の関係性において、より広範に趣味嗜好について認知させ、横の繋がりを増やして広告のプロモーションを強化する、というような狙いがあると思うのですが、この仕様は逆効果になるのではないかと思っています。現在、フォロー相手のRTを非表示にする設定はありますが、Favを非表示には出来ません。たまたま一回表示されただけならそのままにするかもしれませんが、回数が増えていった場合は考えるでしょう。フォローするデメリットがメリットを上回る可能性があるからです。RT非表示機能よりむしろ、Fav非表示機能を実装して欲しいと思います。(また、同様の話として、直近では、他のユーザーのアカウントのトップにフォロー情報が表示されるようになりましたが、思わぬところで「あの人はなんでこんなアカウント(反社会的であったり、中傷的な表現を多用していたり)をフォローしてるんだ…?」という事を考えた人が…いや、これは自分が潔癖なだけかもですが。反面教師とか、清濁併せて様々な意見を見聞きしたいとか、普通に考えられる理由は色々とあるでしょう)
こういう事があるから、というわけでも無いのですが、自分は少なくとも、RTとFavに質的な差は極力生じさせないようにしてますし、内容的にも公言してる事に留めてるつもりです(どちらかというと、元々、興味関心とする対象が偏っている事が要因ですが)。ただ、たまにこういう事をガーっと言った後に、フォロワーが何人か減ったりするわけですが、自分はそれで良いと思ってます。まとめると、相手が積極的にオープンにしていない事がアプリケーションの仕様によって公開され、それが原因で「なんか嫌だな…」みたいな感覚に陥るのは、自分でそうなってて非常に不健全だなと思った、という話です。不快に思う事例なんて滅多に無いのですが、マイナスの強化子ってそれだけ印象に残り易いという事かなとも思います。
以上