六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

『マイリトルゴート』 感想と考察

本稿は虐待についての暴力描写に関する考察を含みます。ご了承の上で閲覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・本編

【臨時配信】 マイリトルゴート / My Little Goat

2021/03/01追記

配信期間終了しましたが、作品概要や監督コメントが掲載されている作品ページはそのままなのでリンク維持しています。

 

・物語のあらすじ(筆者の理解)

オオカミの腹をハサミで裂き、食べられてしまった子山羊たちを助け出したお母さん山羊だったが、最初に食べられた長兄の山羊トルクは既にオオカミの胃袋の中で溶けて骨になってしまっていた。それを受け入れられなかったお母さん山羊は、山羊(羊?)のフードを被った人間の男の子を拾ってトルクとして家に連れ帰り「イチゴを摘んで来る」と言い残して鍵をかけて出て行ってしまう。

生き残った他のきょうだい達は、男の子が長兄トルクではないと気付き、疑って詰め寄るが、男の子が家からの脱走を試みた際に裏返しにしてあった姿見を表にしてしまい、鏡に映った焼けただれた自分の姿を見たお姉ちゃん山羊は悲鳴を上げ、部屋の隅で泣き出してしまう。

男の子は他の山羊達がお姉ちゃん山羊を心配している隙に再度脱走を試みるが、泣いている彼女を放っておけずに自分のフードを脱いで彼女に被せてあげる。そうして、お姉ちゃん山羊が男の子の腕にも多数の傷がある事に気付いたその時、家にオオカミがやってきて子山羊たちは家のあちこちに隠れ、男の子にも隠れるよう促す。

男の子が震えて動けずにいると、家の扉がこじ開けらてしまう。しかし、やって来たのはオオカミではなく人間であり、男の子の父親であった。父親は男の子を心配していたと言いつつも直ぐに態度が豹変し、やがてオオカミに姿を変えて男の子の服を乱暴に脱がせ襲いかかる。その様子を黙って見ていられなかった子山羊たちは、一致団結してオオカミに襲いかかるが、みんなオオカミに吹き飛ばされてしまい、尚も男の子はオオカミに暴力を受け続ける。その時、お母さん山羊が帰宅し、取り落としたカゴの中にあったスタンガンを手に取ってオオカミを気絶させる。

子山羊たちは各々がパステルカラーのフードを被り“決して外に出てはいけない”というお母さん山羊を笑顔で見送ると、その言い付けを守ってドアの内側に何重にもつっかえ棒を挿していく。お母さん山羊は、男の子の父親の腹をハサミで裂き石を詰めて水辺に沈め、大きなトラバサミを抱えて何処かへと歩いていく。ヘリコプターの音が森にこだまする中、父親の靴が水面に浮かび上がり物語は終わる。


・虐待の描写について

もう皆さん言っている事なので改めて書くまでもないですが、男の子は常態的に父親に性的虐待を受けていると思われます。これは、男の子の服を脱がせて襲っていた事や、お母さん山羊にスタンガンで気絶させられた際に自身もズボンを下着ごと脱いでいた描写からも明らかですが、もう一方で身体的虐待に関しての描写にも触れておきます。

あらすじで触れた通り、男の子がお姉ちゃん山羊にフードを脱いで被せてあげた際、男の子の両腕に傷がある事がわかります。本作の季節がいつ頃であるかは劇中では明言されていませんが、画面に映ったイチゴ(見る限り野苺ではない)から旬の3〜4月の春であると思われます。なので、男の子がフードを被っていたとしても不自然ではないのですが、身体的虐待を加えている親が被虐待児に季節を問わず長袖長ズボンの格好をさせているというのは実際によくある事で、本作のフードはこれを意識した描写と思われます(※)。こうした境遇にある子供は、人前で服を脱いで傷を見られることを恐れたり嫌がったりするケースが多いですが、その中で男の子がお姉ちゃん山羊にフードを被せてあげるという描写には色々な事を考えさせられます。また、その行動を目の当たりにした事で、お姉ちゃん山羊は男の子を同胞として認めたのではないでしょうか?

※ただし、皮膚病等で年中長袖長ズボンの格好をしていなければならなかったり、抗癌剤等の副作用で夏場でもフードやパーカーを手放せないという人も勿論います。それだけで虐待と決め付けたり、変に疑ってかかるのは辞めてください。虐待が疑われる場合は、基本的には児童相談所に通報してください。


・オオカミという暗喩について

本作がグリム童話『狼と七匹の子山羊』をモチーフにしているのは明らかですが、読み慣れた展開と内容は大きく事なっています。実は、グリム童話は読み伝えられて書かれた年代や地域、啓蒙する内容によって物語が変化する事がままあります。例えば、オオカミの腹を裂く点で本作と共通する『赤ずきん』ですが、物語によっては赤ずきんちゃんが食べられたまま助け出されなかったり、赤ずきんちゃんは助かるがおばあちゃんは殺されてしまったり、あるいは、物語の悪役がオオカミではなく人間の野盗であったりします。自分の読んだ物語では、赤ずきんちゃんは野盗の男に襲われ惨殺されていました(何読んでんだこの人…)。つまり、女の子が見ず知らずの人に着いて行っては酷い目に遭う、という趣旨の啓蒙を過激に表現した物語としての側面も持っていたという事です。

話を戻して、つまり、本作のオオカミについても男の子の父親が豹変した姿がそうであったように、オオカミがイコールで本物の動物のオオカミを指すとは限りません。強姦目的で赤ずきんちゃんに近付き惨殺した男と同様の存在として捉えた方が、あるいは真に迫っているだろうと思われます。そうすると、物語冒頭で腹を裂かれていたオオカミも男の子の父親と同じ様な誰かかもしれません。案外、子山羊達の本当の父親かもしれません。


・オオカミと山羊という暗喩について

オオカミを見たままオオカミとして捉えられないかもしれないというのは前述の通りです。では、山羊はどうなのか。

男の子の父親を気絶させたスタンガンは、イチゴを摘んで帰って来たお母さんの持っていたカゴに入っていました。つまり、これはお母さんの持ち物です。山羊がスタンガンを持ち歩くというのは妙な話です。動物達が暮らし、言葉を話すファンタジーにしては描写が生々し過ぎます。であるならば、オオカミが身体的虐待、性的虐待を行っていた人間の父親の隠喩であったように、山羊もまた人間なのかもしれません。

お母さん山羊が子供達を家の外に出さないという描写について、ネグレクトと対となる過干渉に当たる…ようにも思われます…が、それは安全圏にいる外野だからそう言えるだけで、いつまたオオカミが襲って来ないとも限らない環境においては、お母さん山羊はそうせざるを得ないというのが実際でしょう。冒頭で腹を裂かれたオオカミは子羊達の実父なのか、それとも赤の他人が子山羊たちを襲ったのかは分かりませんが、お母さん山羊が家の外を子山羊たちにとって脅威であると考えている事は変わっていません。だからこそ、物語の最後でお母さん山羊は、ヘリコプターの音が鳴り響く中でトラバサミを抱えて家を出たのだろうと思います。おそらく、この世界にはお母さん山羊や子山羊たちの助けになってくれる猟師はいないからです。


以上


OST配信中

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