私の観測した限りにおいて賛否両論巻き起こっている「生理用品を隠す袋、いりません #NoBagForMe プロジェクト」に関して、側から見て非常に違和感があったため、そもそもなぜ隠す必要が生じるのかという点に焦点を当てて具体的に書いていきます。
①宗教的な背景
さて、仏教に赤不浄(あかふじょう)という概念があるのをご存知でしょうか?あのWikipediaに単独項目が無いくらいにはマイナーな言葉ですが、ざっくり言えば「出産や月経などの出血を穢れとして扱う」という風習です。差別的だと思われる方が殆どだと思いますし穢れとして扱うという点に関しては私もそう思います。思いますが、そういった風習が文化として存在し、その間に仕事を休まさせられたり隔離されたりしていたのは事実です(現代でも行く所に行けばあるかもしれません)。
※ただし、この点に関しては現代ほど医療設備や技術が発達していなかったことから、体力が落ちている状態で仕事をさせると今以上に危険が伴ったことや感染症の予防のために隔離する必要があった、という側面もあるため不浄という概念と結び付きさえしなければそれほどおかしな対応とは言えません。今風に言えば労働基準法に規定されている生理休暇のようなものだとも言えます。
また、赤不浄とはやや異なりますが、いわゆる霊山と呼ばれる山が江戸時代頃までは女人禁制であったのも同様の風習と言えます。その他、女性と血に纏わる信仰には現代に至ってなおかなりエゲツない話もありますが、話が逸れるのでここでは割愛します。
いずれにせよ、表題の問題は昨今の教育や倫理観を発端としたような日の浅い価値観ではなく、非常に根深い問題だという事が伝わればと思います。個々人の善悪観や価値観を超えて、何百年も昔から信仰している人は信仰し、継承している人は継承している概念というわけです。
②生物学的な背景
生理時の身体への負担を列挙すると、
・出血による貧血
・生理痛
・ホルモンバランスの変調による心身および精神の不調(ここでいう精神は神経や脳機能です)
・それらに伴う体力や免疫の低下
などが挙げられますが、一口にこう言っても個人差がありますよね?そもそもの体力が個人によって異なりますし、痛みの感じ方の程度(我慢出来るかどうかではなく脳機能としてどの程度の強さとして処理されるか)もマチマチです。ホルモンバランスが大きく崩れ精神的に非常に不安定になる方もいれば、さほど影響を受けずにストレス耐性がやや低下するくらいで済むという方もいるでしょう。つまり、同じ生理という言葉を扱っていたとしても、それが内包する様々な数的な尺度は個人によって全く別物だという事です。一概にそうだと決め付けるわけではありませんが、生理用品について大っぴらに出来るという方はこういった尺度の値が他の方よりも低いのかもしれません。言い換えると、そういった情報を他者に開示したとしても、自身の生命を脅かす事態は生じないと考えられる程度には健康な状態が損なわれていないのかもしれません。この点に関してピンと来る方と来ない方がいると思いますが、一言で言えば、弱っている自分を表に出さない事は生物としての生存戦略だという事です。
生理用品について「絆創膏やトイレットペーパーのような物」と捉えられる方がいる事は事実だと思いますが、もう一方では「松葉杖や生命に関わる常備薬」くらいに考えている方もいるのではないかと思います。そういった物を必要としているくらいには弱っている、という情報を他者に開示するのは生物としては致命的ですが、この心情に共感出来る人と出来ない人がいるのではないか、という事です。この危機意識の差は、生理や生理用品といった表面的な言葉を扱っているだけではなかなか埋まらないのではないかと思います。
③社会的な背景
まず、結論から言います。この企画は生理用品を奇異の目で見る第三者の存在に対して全くの無力ですよね?好奇心の目で見る学校の同級生、大っぴらにする事をはしたないと噂話を広める近所の誰か、男女を問わず性的嗜好として扱う人達、企画なんか知ったこっちゃないというこれらの第三者に対して全くの無力です。社会的な背景と書きましたが、具体的には、発達段階が以前よりも早まっている事による教育の遅れや、前述の宗教的な背景を発端とした生理を忌むものとして扱う文化(とまでは行かずとも、なぜそういう風習なのかすら忘れられて結果だけ残った隠すべきという漠然とした価値観)、そして、ゾーニングも何も無しに生理に関するあれこれを性的嗜好として扱いSNS等で垂れ流す人達(男女問わず、です)がいたりと、そんな状況で大っぴらにしたら様々な弊害が生じる事が予想されますよね?”私が“どう行動するかは他者に危害を加えないのであれば自由だと思いますが、”あなたが“どう行動するかについては、その理念を尊重してくれる保証なんて無いという事です。企画に巻き込む対象として考えていた相手でさえ賛否両論巻き起こった事で、企画された方々はこの点を痛感されたのではないかなと思います。
つまり、社会的に未成熟な土壌にデザインだけ変えて挑んだとしても、①②も含めた根本的な問題は何一つ解決してないままだという事が言いたいわけです。その辺りを深く考えた長期的な展望があるのかが非常に曖昧だなと思いますし、本気で取り組みたいというのであれば、やはり歴史的な背景や生物学的な背景に関わる統計的な資料とにらめっこしてもっと根本的な問題を解決する事は避けては通れないと考えます。
以上