六連星手芸部員が何か書くよ

お基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ。アニメや漫画の感想、考察、レヴュー、再現料理など。

『天気の子』感想と考察-物語の構成に『君の名は。』を添えて-


さて、手違いで凪くんの魅力を考察する記事を先に書いてしまいましたが、本稿では『天気の子』本編について劇中の象徴的な要素に触れながら考察していきます。

…が、ぶっちゃけ本稿で読むのは最後の項だけでも良いです。あとは蛇足です。

 

 

・構成上最も異なる要素は何か

君の名は。』では好きになった女の子に再び会うために世界を救う必要があったのに対し、『天気の子』では好きになった女の子に再び会うために世界を滅ぼす必要があった、この点に尽きると思います。世界と言うと大袈裟で、実際には糸守や東京といった局所的な地域に過ぎないのですが、やってることが真逆なだけで物語の構成としては実は大差無いと思います。ただし、大味な差なのかというとそうではなく、これ、似たようなプロットとして「帆高が陽菜を取り戻す代償として一夜の大災害で東京が滅ぶ」と出来なくもないですよね?しかし、そうしてしまうと賛否両論どころの騒ぎではないです。なので、一瞬で滅んだ糸守とは異なり、3年間かけてじっくりと雨に沈んだ東京というのは議論の余地を残した良い塩梅の設定だと思います。…あくまで、パッと見では。


・『ライ麦畑でつかまえて

序盤で帆高の持ち物の中に一瞬確認出来る本書ですが、読んだことない人にザックリ内容を説明すると「精神疾患に罹患した(と、思われる)青年が、社会に悪態を吐きながら放浪してトラブルを起こしまくった末、精神病院に入院して落ち着きこれまでを振り返る」みたいな内容です。青年小説の傑作と言われたりしてますが汎化できる内容ではないと個人的には思っています。ただまあ、私の解釈ですので違う感想を持たれる方もいると思います。そもそも反社会的な行動を精神疾患という枠にはめてるだけではと思わなくもないです。…話が逸れましたが『天気の子』の内容とはシンパシーが有るような無いような…、個人的にライ麦は読後感悪かったですが、天気の子の方はそういう印象を持ちませんでした。媒体の異なる小説と映画を比較しても意味は無いですが、ライ麦が自己中心的に物語が進行するのに対し、天気の子は陽菜の為にという他己中心へとシレッと動機が転換する点が最大の違いかなと思います。そのシレッとを支えているのが今作の主要テーマである天気の描写だと思います。


・天気の情景の変化

物語の前半、(これは本当に新開誠監督の作品なのか?)と思ってしまうほどに東京の街はリアルに薄汚れていて雨の描写も憂鬱に感じられました。それに対して、陽菜の願いによって晴れた東京の風景はとても美しく、この対比が幾度も重ねられていきます。私は設定考証は細かく考えるタイプですが演出は素直に受け取るタイプだと思うので、この段階では、先のシナリオには嫌な予感しかしてませんでしたが、雨=ネガティブ、晴=ポジティブといった具合に監督の掌の上でほだされてました。

ところが、物語終盤で陽菜が消え、ホテルから帆高と凪が出て来た場面でこう思ってました。

(晴れってなんて忌々しいんだ…)

と。もう完全に掌を返して帆高に感情移入してますね。この時の晴れの描写って前半のカラッとした爽やかな晴れとは完全に異なり、ジメジメして陽炎の浮き立つ茹だるような暑さとして描写されていたように思います。いや、劇中のモブキャラたちは「晴れたー」って感じで喜んでいたので、あの忌々しい風景は帆高の眼に映る晴れの風景と言っていいでしょう。この時の自分はこう思ってるわけです。

(陽奈のいないこんな忌々しい晴れなら要らない…)

と。掌を返してるくせに未だに完全に監督の掌の上です。西遊記かよと。


・天災と巫女について

伝承が事実だったのかを確かめる術はありませんが、昔は河川が氾濫したり海が荒れたりした時に、巫女を川や海に投げたり橋の脚に括りつけたりして、神、あるいは自然の怒りを鎮めようとしていたそうです。あるいは、架け橋を建設する時に、川の氾濫や橋の崩壊を防ぐ目的で橋の脚に巫女を生き埋めにして文字通りの人柱としていたそうです。エグい話です。そういう歴史を知っていると、今作の巫女や人柱の描写は随分と美しく描かれているなと感じました(皮肉じゃないですよ?)。


・お盆を表すモチーフと此岸と彼岸

きゅうりとナスで作られた精霊馬と精霊牛がお供えしてありますが、これらはそれぞれお盆に先祖の霊を迎え、また送り出すための乗り物です。これだけなら一般的なお盆の慣習ですが、これらのお供え物は劇中当初から登場しているにも関わらず、朽ちることなくラストまで一切形を変えていません。これは鳥居をくぐった向こう側が此岸とは別の世界であるために、此岸を支配するあらゆる法則が適用されていないためだと思われます。

物語終盤で帆高は「陽菜さんが彼岸にいる!!」と叫んで廃ビル屋上の鳥居を目指します。彼岸という単語が唐突に出てきた感がありますが、後述の富美おばあちゃんがお盆の風習の話をしており、この場面の伏線となっています。前作の一葉おばあちゃんとの隠り世のやりとりと同じ構成ですね。これだけ聞くと隠り世と何が違うのかと思われるでしょうが、仏教において此岸と対になるのが彼岸で、神道において現世と対になるのが隠り世です。送り火は仏教の風習なのに対して宮水は神社です。なので表現に違いが出ているというわけです。

さて、前作では「隠り世から現世に戻るためには一等大事にしている物を置いていく必要がある」とされ、私はそれを瀧と三葉の互いの関係性ではないかと考察しました。今作では帆高が陽菜を人柱から解放した代償として天気のバランスが崩れたままとなっています。(それって自分の大切なものじゃなくない?)と思わなくもないですが、そもそも巫女として人柱になることは押し付けられた役割である以上、それを拒否して此岸に帰ってきても別に良いかなとは思います。


・前作『君の名は。』のメインキャラクターの登場シーン

それぞれのキャラクターの登場場面は、

①さやちんとテッシー

序盤で観覧車に乗る後ろ姿にてカメオ出演…に留まると思いきや、終盤で帆高が警察署を脱走する時に中に入ろうとしたさやちんとすれ違っています。(なんでさやちんが警察署に?)と鑑賞後は少し考えたのですが、おそらくは前作ラストで2人が結婚の話をしていたことや物件を見ていたことから推測するに、免許証の住所や名字(あの世界の夫婦別姓がどうなっているかわからないですが少なくとも前者)の変更のために警察署を訪れていると思われます。御結婚おめでとうございます。

鑑賞直後のツイート↓

ker-六連星手芸部- on Twitter: "そういやなんで警察署にあのキャラが来てたのかをちょっと考えてたんですが、多分、運転免許証の名前か住所の書き換えの為ですね。なので、時系列的にはあの辺りなんだろうなと思いました。(観てもわからないかもしれない話) #天気の子"


…って、思ってました。これは誤りです。

②瀧くん

晴れ女休業前の最後の依頼者、富美さんのお孫さんとして登場。ちなみに、勘違いされてる方もいるようですが、今作で登場したのは瀧くんのおばあちゃんで、前作に登場した三葉の一葉おばあちゃんとは別人です。『君の名は。』では一葉おばあちゃんが隠り世について話していましたが、今作では富美おばあちゃんがお盆の送り火の話をしています。

③三葉

帆高が陽奈への誕生日プレゼントを買いに来たアクセサリーショップの店員さんとして登場。喜んでもらえるか不安に思う帆高に「3時間も迷って考えてくれたのだから私なら嬉しい」と彼の背中を押しています。押してしまいました。

四葉

人々を映すカットで一瞬登場。学校の雰囲気が前作ラストと同じ(多分)なので映った瞬間に(四葉も登場か?)と思った人は多いハズ。


一見するとファンサービスですが、実態はそんな優しさとはかけ離れた前作ファンへと吹っ掛けられた喧嘩です。以下、本題です。


・2021年

『天気の子』予報②より

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君の名は。』本編終盤より(写真はブックレットから)

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一応実物(瀧くんのは月曜始まりのカレンダー)

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上記の通り『天気の子』の舞台は2021年夏の東京です。そして、『君の名は。』のラストシーンは瀧くんが就活していた2021年の翌年(あるいはそれ以降)の春、つまり2022年以降です。今作における帆高と陽菜の選択により、2022年以降の東京では春の晴れた日に桜が舞い散ることはありません。

したがって、『天気の子』で変えられた「世界の形」とは、東京の風景とかそこに暮らす人々の生活とかそんな抽象的で曖昧で現実感の持てない他人事ではないです。前作『君の名は。』で瀧と三葉が再会するラストです。「それでもこの物語を肯定し、帆高と陽菜を祝福出来るのか?」という問い掛けこそ、監督の「賛否両論」なのではないかなと思います。

セカイ系のボーイミーツガールと対立するのは世界ではなく別のボーイミーツガール 。 そういうことなのではないでしょうか?最初はギャルゲ論評のトゥルーエンドとかルート分岐とかギャグだと思ってましたが、理詰めで考察した結果同じ結論に達して似たようなことを書いていることに驚いています。『君の名は。』本編では2022年の東京が雨に沈んでいないため帆高は陽奈を取り戻す事が出来ておらず、『天気の子』本編では2021年夏以降の東京は雨に沈んでいるため瀧と三葉はあのシチュエーションで再会しません。両作のハッピーエンドが両立することは無いんです。

 

 

ただ、私は自分の考察の科学考証を信じるので、何があっても2人の縁は結ばれると信じています。


凪くんの記事はこちら↓

http://ker-cs.hatenablog.com/entry/2019/07/20/204210

君の名は。』の考察記事はこちら↓

http://ker-cs.hatenablog.com/entry/2016/10/03/012649