『フリップフラッパーズ』最終話、素晴らしいアニメーションでした。キャラクターの動きだけでなく、背景美術も次々と変わっていき、12話のヤヤカ変身シーンに引き続き、まさかのミミ変身シーンというラスボス演出。夢から覚めて終わるというのも、自分の予想と合致していました。でも、どこか腑に落ちない感覚がありました。
これに関して、こちらのブログの感想では、「最終話を区切りに、二人は僕らを置いて旅立っていく。」と綴られています。
http://wasasula.hatenablog.com/entry/2016/12/30/165910
確かにその通りだと思いました。でも、自分はそれだけでは納得出来ませんでした。二人の冒険が続いていく、ココナとパピカにとってこれ以上ないラストです。しかし、自分が予想していた以上に、自分は二人に置いていかれた感覚を覚えました。これはなぜなのか。
自分は最初、最終話のエンディングにおいて、ココナとパピカが、ヤヤカと一緒に通学しているシーンでも描かれれば、それで納得出来たんじゃないかと考えました。ヤヤカが願った、"ココナともう一度友達になる"という思いが果たされておらず、その心残りは大きいと思ったからです。しかしそれでは、ココナが自分の殻を破って自分の道を進んでいく、というテーマと合致しない、元の日常への帰還となってしまいます。やはり、ラストはああやって飛び立って行く他ないハズです。
したがって、置いていかれたと感じた感覚の原因は、ラストシーンが誰の視点で描かれているかにあると思います。この物語は基本的に、何も知らなかったココナの視点で描かれていました。ラストシーンにおいても、飛び立った二人が画面の中心にはいます。ところが、二人を見上げる物語の視点は、フリップフラップの面々であり、ミミであり、アモルファスの子供たちであり、そして、ヤヤカのモノでした。この点に関して、自分は、想像以上に二人に突き放されてしまったと感じたのではないかと思います。
つまり自分は、メタ的に言って、ヤヤカがココナとパピカをはっきりと送り出すシーンが無いのは、視聴者がココナとパピカにお別れする機会が無いのと同義だ、そう感じてしまったんです。
自分は、ラストシーンにおいて、ヤヤカに「行ってこいよ」って言って欲しかったんです。それに寄り添いたかったんです。突き放されるのでもなく、置いていかれるのでもなく、ヤヤカと一緒に二人を見送りたかったんです。