六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

惨劇のレヴュー 劇場版『再生産総集編 少女☆歌劇レヴュースタァライト ロンド・ロンド・ロンド』感想と考察

鑑賞直後は内容というか制作陣の意図を汲みかねて、非常に困惑して…もっと突っ込んだ言い方をするならラストの凄惨な描写には、正直、怒りにも近い感情を覚えました。しかし、そうなった理由、自己の解釈に一定の結論が出たので文章として残します。それは最後に書くので途中の細かい話は飛ばしても。


まずは鑑賞した上での再生産総集編の概要から


・レヴュー曲

尺に合わせたアレンジの他、テレビ版とは曲そのものが変更になっているレヴューや双香のレヴュー曲のように大胆にアレンジされている曲、そしてばななちゃんのレヴュー曲のように、歌詞パートが原曲と異なる為に歌詞の解釈そのものを見直す必要が出たモノまで様々です。これはアンコール上演としての演出なのか、そもそもテレビシリーズとは異なる劇場版としての世界観という意味合いが込められているのかは現時点では判然としません。純粋に曲としては、テレビ版と劇場版のどちらが好みかはその人その人によると思います。各々でプレイリストを作成して繰り返し何度も何度も聴いたという方も多いでしょう。そしてこれは後述の問題とも絡みます。


・構成について

1クールアニメを劇場版で再構成というスタイルは最近では珍しくなくなってきましたが、大抵は前後編での上映で本作のように1作での公開はされません。どう考えても尺が足りないんですよね。本作はそれが顕著で、レヴューシーンはほぼカット無しで網羅されている一方で日常パートは9割方カットです。1話、7話、8話、11話は割と多めですがその他はほぼカットされてます。あの4話ですら殆どカット。ばななちゃんによる「私の純那ちゃん」という衝撃の告白もカット。そして、まるでまひるちゃんが華恋ちゃんの枕のにおいを嗅いだり使用済みのタオルに顔を埋めたり水筒に口付けたりしたい願望を持った娘であるかのような編集のされ方!!(間違ってないとか言わない)等々、本作からレヴュースタァライトに入るというパターンの観客には些かとっつき難い構成です。各々の背景がテレビ版ほど明確に描写されませんし、レヴューの後に和気藹々としてる日常パートも無いので「戦いの後はどうなってるのだろう?」という疑問も湧くかと思います。テレビ版は舞台裏としての日常パートも丁寧に描かれましたが、あくまで本作は再演であり舞台がメインという事なのではないかなと。


・時間軸について

本作はざっくり表現して、ばななちゃんとキリンとの掛け合いの合間合間に華恋とひかりの重要なシーンや各々のレヴューが挿入される構成となっています。しかし、ばななちゃんとキリンのこの掛け合いが一体どのタイミングで交わされているモノなのかはイマイチ判然としません。一応、序盤のやりとりの際に最終回で撮った鍋パの写真が出てくるため、テレビ版の後にばななちゃんがレヴューを振り返るという認識で良いとは思いますが、それにしてはばななちゃんがまた病んでるような…。


・惨劇のレヴュー

まるで気が触れたばななちゃんが舞台少女達を斬殺したかのような本作の凄惨なラスト…実際は違いますけど、血溜まりに沈む舞台少女達の中でばななちゃんだけが無表情で立っているという見た目はそう言って差し障り無いような描写でした。あの感動の第100回聖翔祭から転じて、その舞台をここまで血で汚さなくてもいいだろうと思いました。最初に書いた怒りというのはここに掛かっての事です。私が受け止めた描写だけを述べるなら、レヴューの思い出に浸っていたところにそれを容赦無くぶち壊していくようなラストです。

何故ここまでやる必要があったのか?この感情を抱く事に何の意味を持たせて何を期待しているのか、色々考えた結果ある解釈に行き着きました。本作のストーリーテラーは前述の通りばななちゃんです。第99回聖翔祭の眩しさに囚われて、数え切れない回数の舞台を繰り返してきたばななちゃんです。ここではたと気が付きました。本作を鑑賞した自分が陥っていた状態とはつまり、第99回聖翔祭の眩しさに囚われたばななちゃんと同様にして、テレビ版のレヴュースタァライトの眩しさに囚われて何度も繰り返し同じ舞台を鑑賞してきた事であったと言えるのではないかと。

もし本作が、テレビシリーズ同様に第100回聖翔祭をラストシーンとしたハッピーエンドで終わったならば、「ああ、やっぱり良い話だな」と感想を抱いて終わってしまい、テレビ版レヴュースタァライトという物語に囚われたままになってしまいそうです。何度でも同じ画を再生出来るアニメーションならこれは尚更です。ばななちゃんがそうしたように永遠に眩しい舞台を鑑賞する事が出来ます。本作はその錯覚を良しとしなかったのではないでしょうか?あの眩しかったスタァライトの舞台は閉幕しており舞台少女は次のステージに進んでいく、そうした現実を観客を突き放してまで意識させる為の作品だったように思います。

当然本作は、永遠にテレビシリーズの思い出に浸ってあの眩しい日々を繰り返したいという人にとって、非常に受け入れ難い内容かもしれません。

 

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以上