本稿は映画公開当時に観た際にも何か書こうとして幾らか下書きをしていたのですが、上手くまとまらずにそのままお蔵入りしていました。しかし、今回アマプラでの配信を機に観直したところ、初見時よりも色々と見えてくる物が多くてより楽しめたと感じられたので、改めて書こうと考えた次第です。1周目より2周目、2周目より3周目の方が感情移入の幅が広がっていき、より面白くなっていくと感じました。「爆発しろ……」と呟きながら下唇を噛み締めて繰り返し鑑賞しましょう。
ネタバレ有りなのでまずはご覧になって下さい。以下、しばらく空欄。
あらすじ(筆者目線)
爆発しろ
とっとと爆発しろ
おばあさんの目が大きいのはね〜?2人の爆発を見守るためだよ〜
はぁ……マジで爆発しろ
そこだ爆発しろ
くぎゅうううううううううううううう
貴方とは爆発出来ないだなんて……
君と爆発する為に世界の壁を超えてきたとか爆発しろ
そういうアンタだって「俺は君と爆発したかったんだ」って言ってたろ何でそんな事言うんだ!!
ビッグバン!!
本当に爆発した……
爆発したけど末永く爆発しろ
アンタだって爆発出来るじゃん……
……いや、冗談じゃないけど冗談ですよ?でも、既視聴者なら何言ってるかわかるハズ。
以下、本文
詳細なあらすじ(本物)
2047年、月面。一行瑠璃(以下、八咫烏)は脳死状態に陥った恋人である堅書直実(以下、先生)を救うため、彼の精神を”量子コンピュータであるアルタラIIによってシミュレートされる仮想世界“(以下、α)で再構成してサルベージすべく、八咫烏のアバターを纏って仮想世界へと侵入する。そして、その世界を現実と誤認している先生に先行して“アルタラIIがシミュレートする仮想世界のアルタラがシミュレートする2027年の仮想世界”(以下、β)へと侵入し、高校生当時の堅書直実(以下、直実)をβ世界へと侵入した先生の元に導いて彼らと行動を共にする。
α世界において先生と恋人となった一行瑠璃(以下、瑠璃)は落雷事故によって脳死状態となっており、先生はこの事実をあたかも彼女が死亡したかのように直実に誤認させ、β世界で直実と恋人となった瑠璃の精神をα世界へとサルベージする事で彼女の意識を回復させる事を画策していた。八咫烏はそんな先生に、仮想世界の情報を物理的に変質させる権限“神の手(グッドデザイン)”を司るツールとして付き添い、直実の事もまた見守っていた。
八咫烏は、先生が自分が恋人本人であるとも知らず、高校生当時の直実が秘匿していたエロ本(しかも、グラビアモデルは彼女の親友に非常によく似ている)の入った段ボール箱をあろう事か恋人本人にひっくり返させてドヤ顔をキメている姿にドン引き(多分)したり、先生が「お前今、一行瑠璃が可愛くないっつったか!?一行瑠璃は可愛い!!可愛い系だ!!」と連呼して力説する姿に悶絶(多分)したり、瑠璃と連絡先を交換してニヤつく直実をテレ隠し(多分)でどついたりしながら、先生と共に直実が瑠璃と恋人同士になる歴史を再現する傍ら、直実が神の手を使いこなせるよう手解きをしていく。
そうして落雷事故の日、直実は神の手によって歴史を変え瑠璃を救うが、その瞬間に彼女の精神は事故当時の状態へと同調し、本性を現した先生によってα世界へと連れ去られてしまう。自動修復システム“狐面”の暴走によりバグが広がっていくβ世界は、α世界の先生を含めた管理者によってリセットされる事が決定され、世界が崩壊していく。直実は瑠璃を救いたい一心でβ世界を飛び出し、八咫烏に導かれてα世界へと侵入する。
α世界の肉体と同調し意識を取り戻した瑠璃であったが、直実が神の手を使って古本市の失敗という事実を書き換えた影響で認識に齟齬が生じ、瑠璃は先生を自分の知る直実ではないと拒絶する。そして、α世界の狐面はそんな瑠璃の肉体と精神が別物であると判定し、アドレスの重複を解消する為に彼女の抹消を試みる。この時、α世界もまた仮想世界であると先生は初めて知る事となる。直実は間一髪でα世界に侵入して瑠璃を救い、先生を殴り倒し、八咫烏と共に元の世界へと帰る為に奔走する。
アルタラの暴走によりα世界もまた危機に瀕していると知った先生は、瑠璃を元の世界に帰す事を決意し直実に協力する。「自分を愛してくれてありがとう」と告げて元の世界へと帰っていく瑠璃を涙で見送った先生だったが、今度は直実と先生のアドレスの重複を解消する為にシステムが動き出す。先生は直実に「(神の手を使って)俺を消せ」と迫る。直実はこれを一旦は拒否するが、システムは神の手の処理能力を超えて彼らを追い詰め、直実を庇った先生は致命傷を負わされてしまう。「幸せになれ」と直実に言い遺した先生は神の手によって消滅し、それと同時にアルタラの管理者によって狐面のシステムが停止され、β世界の情報は処理される事なく無限に増殖していき、やがて情報のビックバンが起こる。
直実が目を覚ますと世界は夜明けを迎えており、再開を果たした瑠璃と今度こそ結ばれる。「元の世界に帰れたんでしょうか?」という瑠璃の問い掛けに対し、直実が「きっとここは誰も知らない新しい世界なんです」と答えたところで彼らの物語は幕を閉じる。
直実を庇って死亡したかに思えた先生だったが、その瞬間に現実世界の肉体とα世界との精神とが同調し、先生は現実世界で目を覚ます。一行瑠璃は先生の目覚めを涙で迎え、彼らの物語もまた幕を閉じる。
好きは感情と行動のどちらが先か
さて、人間って“相手の事を好きになった結果として好意的な行動を取るようになる”のでしょうか?それとも、“好意的な行動を取っていくうちに相手の事を好きになる”のでしょうか?この命題は社会心理学、とりわけその中のカテゴリの一つである恋愛心理学でもテーマとして扱われていまして、議論は尽きない話題でもあります。社会心理学ってそういう研究してるの?と思われるかもしれませんが、人類の存亡に関わる重大なテーマです。皆さんはどちらだと思いますか?
本作における恋愛の鶏と卵
主人公の直実は当初、ヒロインの瑠璃ではなく学園のアイドル的存在である勘解由小路さんに好意(憧れ)を抱いていました。あらすじでも触れた通り、彼が隠し持っていたエロ本の表紙は彼女そっくりです(もう一冊の表紙は瑠璃に容姿は似てますが雰囲気が可愛い系ですね)。一方で、直実の瑠璃に対する印象は「近付いたら噛み付かれそうな孤高の狼みたいな人で僕には無理なんじゃ」です。先生に気圧される格好で“綺麗な人”とは言ってますが、お世辞にも好意を抱いているとは言えない状態です。それが先生の未来ノートに従って行動していくうちに彼女に本物の好意を抱いていくわけですから、本作の恋愛観は前述した二つの説のうちの“好意的な行動を取っていくうちに相手の事を好きになる”を採用している事がわかります。よくある物語の導入だと思われるかもしれませんが、自分は本作においては非常に重要で意味のある設定だと考えます。何故なら、肉体(行動)に精神(好意)を同調させる事で意識を回復させる、という物語の目的にはこの説を採用する事が必須となる為です。
ただし、“相手の事を好きになった結果として好意的な行動を取るようになる”事が描かれていない訳ではなく、むしろ本作における物語の転換点を作る重要なファクターです。直実は確かに未来ノートに従って瑠璃を好きになりましたが、彼女のために古本市を成功させたいと思って起こした行動は、直実が彼女を本当に好きになったからこその行動であり、その結果として瑠璃はあの冒険譚の思い出に強く結び付けられ、先生に対して「あなたは堅書さんじゃない」と告げたのだと思われます。
多層構造の世界と多層構造の主人公達の思惑
と言ってもそこまで大それた事は書かないのですが、本作は少なくとも2047年の現実、2037年の仮想世界、2027年の仮想世界の三層構造で物語が展開されています。もっとも、序盤で先生が語った事を踏まえると、現実とされたあの世界ですら2057年の現実世界のアルタラIIIがシミュレートする仮想世界である可能性はありますが。閑話休題、何を言いたいかと言うと、この記事の冒頭で1周目より2-3周目の方が面白いと書いたのはこの多層構造が理由です。初見時の観客は大抵の人が直実を主人公として捉えて物語を観ていたと思いますが、最初から先生を主人公として捉えて観た場合には全然違う感情移入の仕方をしながら物語を観る事になります。加えて、本作にもう一つ視点を設けるとしたら、それは先のあらすじをそうして書いたように八咫烏(現実の一行瑠璃)の目から見た物語だろうと思います。直実と先生が高校生当時の自分を巡って馬鹿やったり争ったり共闘したりしてるわけですよ。いったいどういう想いで彼らの側に居たのだろうなと思うとラストシーンは中々に感慨深いです。
以上