六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

『天気の子』感想と考察-物語の構成に『君の名は。』を添えた意味について-


さて、手違いで凪くんの魅力を考察する記事を先に書いてしまいましたが、本稿では『天気の子』本編について劇中の象徴的な要素に触れながら考察していきます。

…が、ぶっちゃけ本稿で読むのは最後の項だけでも良いです。あとは蛇足です。

 

 

・構成上最も異なる要素は何か

君の名は。』では好きになった女の子に再び会うために世界を救う必要があったのに対し、『天気の子』では好きになった女の子に再び会うために世界を滅ぼす必要があった、この点に尽きると思います。世界と言うと大袈裟で、実際には糸守や東京といった局所的な地域に過ぎないのですが、やってることが真逆なだけで物語の構成としては実は大差無いと思います。ただし、大味な差なのかというとそうではなく、これ、似たようなプロットとして「帆高が陽菜を取り戻す代償として一夜の大災害で東京が滅ぶ」と出来なくもないですよね?しかし、そうしてしまうと賛否両論どころの騒ぎではないです。なので、一瞬で滅んだ糸守とは異なり、3年間かけてじっくりと雨に沈んだ東京というのは議論の余地を残した良い塩梅の設定だと思います。…あくまで、パッと見では。


・『ライ麦畑でつかまえて

序盤で帆高の持ち物の中に一瞬確認出来る本書ですが、読んだことない人にザックリ内容を説明すると「精神疾患に罹患した(と、思われる)青年が、社会に悪態を吐きながら放浪してトラブルを起こしまくった末、精神病院に入院して落ち着きこれまでを振り返る」みたいな内容です。青年小説の傑作と言われたりしてますが汎化できる内容ではないと個人的には思っています。ただまあ、私の解釈ですので違う感想を持たれる方もいると思います。そもそも反社会的な行動を精神疾患という枠にはめてるだけではと思わなくもないです。…話が逸れましたが『天気の子』の内容とはシンパシーが有るような無いような…、個人的にライ麦は読後感悪かったですが、天気の子の方はそういう印象を持ちませんでした。媒体の異なる小説と映画を比較しても意味は無いですが、ライ麦が自己中心的に物語が進行するのに対し、天気の子は陽菜の為にという他己中心へとシレッと動機が転換する点が最大の違いかなと思います。そのシレッとを支えているのが今作の主要テーマである天気の描写だと思います。


・天気の情景の変化

物語の前半、(これは本当に新開誠監督の作品なのか?)と思ってしまうほどに東京の街はリアルに薄汚れていて雨の描写も憂鬱に感じられました。それに対して、陽菜の願いによって晴れた東京の風景はとても美しく、この対比が幾度も重ねられていきます。私は設定考証は細かく考えるタイプですが演出は素直に受け取るタイプだと思うので、この段階では、先のシナリオには嫌な予感しかしてませんでしたが、雨=ネガティブ、晴=ポジティブといった具合に監督の掌の上でほだされてました。

ところが、物語終盤で陽菜が消え、ホテルから帆高と凪が出て来た場面でこう思ってました。

(晴れってなんて忌々しいんだ…)

と。もう完全に掌を返して帆高に感情移入してますね。この時の晴れの描写って前半のカラッとした爽やかな晴れとは完全に異なり、ジメジメして陽炎の浮き立つ茹だるような暑さとして描写されていたように思います。いや、劇中のモブキャラたちは「晴れたー」って感じで喜んでいたので、あの忌々しい風景は帆高の眼に映る晴れの風景と言っていいでしょう。この時の自分はこう思ってるわけです。

(陽奈のいないこんな忌々しい晴れなら要らない…)

と。掌を返してるくせに未だに完全に監督の掌の上です。西遊記かよと。


・天災と巫女について

伝承が事実だったのかを確かめる術はありませんが、昔は河川が氾濫したり海が荒れたりした時に、巫女を川や海に投げたり橋の脚に括りつけたりして、神、あるいは自然の怒りを鎮めようとしていたそうです。あるいは、架け橋を建設する時に、川の氾濫や橋の崩壊を防ぐ目的で橋の脚に巫女を生き埋めにして文字通りの人柱としていたそうです。エグい話です。そういう歴史を知っていると、今作の巫女や人柱の描写は随分と美しく描かれているなと感じました(皮肉じゃないですよ?)。


・お盆を表すモチーフと此岸と彼岸

きゅうりとナスで作られた精霊馬と精霊牛がお供えしてありますが、これらはそれぞれお盆に先祖の霊を迎え、また送り出すための乗り物です。これだけなら一般的なお盆の慣習ですが、これらのお供え物は劇中当初から登場しているにも関わらず、朽ちることなくラストまで一切形を変えていません。これは鳥居をくぐった向こう側が此岸とは別の世界であるために、此岸を支配するあらゆる法則が適用されていないためだと思われます。

物語終盤で帆高は「陽菜さんが彼岸にいる!!」と叫んで廃ビル屋上の鳥居を目指します。彼岸という単語が唐突に出てきた感がありますが、後述の富美おばあちゃんがお盆の風習の話をしており、この場面の伏線となっています。前作の一葉おばあちゃんとの隠り世のやりとりと同じ構成ですね。これだけ聞くと隠り世と何が違うのかと思われるでしょうが、仏教において此岸と対になるのが彼岸で、神道において現世と対になるのが隠り世です。送り火は仏教の風習なのに対して宮水は神社です。なので表現に違いが出ているというわけです。

さて、前作では「隠り世から現世に戻るためには一等大事にしている物を置いていく必要がある」とされ、私はそれを瀧と三葉の互いの関係性ではないかと考察しました。今作では帆高が陽菜を人柱から解放した代償として天気のバランスが崩れたままとなっています。(それって自分の大切なものじゃなくない?)と思わなくもないですが、そもそも巫女として人柱になることは押し付けられた役割である以上、それを拒否して此岸に帰ってきても別に良いかなとは思います。


・前作『君の名は。』のメインキャラクターの登場シーン

それぞれのキャラクターの登場場面は、

①さやちんとテッシー

序盤で観覧車に乗る後ろ姿にてカメオ出演…に留まると思いきや、終盤で帆高が警察署を脱走する時に中に入ろうとしたさやちんとすれ違っています。(なんでさやちんが警察署に?)と鑑賞後は少し考えたのですが、おそらくは前作ラストで2人が結婚の話をしていたことや物件を見ていたことから推測するに、免許証の住所や名字(あの世界の夫婦別姓がどうなっているかわからないですが少なくとも前者)の変更のために警察署を訪れていると思われます。御結婚おめでとうございます。

鑑賞直後のツイート↓

ker-六連星手芸部- on Twitter: "そういやなんで警察署にあのキャラが来てたのかをちょっと考えてたんですが、多分、運転免許証の名前か住所の書き換えの為ですね。なので、時系列的にはあの辺りなんだろうなと思いました。(観てもわからないかもしれない話) #天気の子" / Twitter


…って、思ってました。これは誤りです。

②瀧くん

晴れ女休業前の最後の依頼者、富美さんのお孫さんとして登場。ちなみに、勘違いされてる方もいるようですが、今作で登場したのは瀧くんのおばあちゃんで、前作に登場した三葉の一葉おばあちゃんとは別人です。『君の名は。』では一葉おばあちゃんが隠り世について話していましたが、今作では富美おばあちゃんがお盆の送り火の話をしています。

③三葉

帆高が陽奈への誕生日プレゼントを買いに来たアクセサリーショップの店員さんとして登場。喜んでもらえるか不安に思う帆高に「3時間も迷って考えてくれたのだから私なら嬉しい」と彼の背中を押しています。押してしまいました。

四葉

人々を映すカットで一瞬登場。学校の雰囲気が前作ラストと同じ(多分)なので映った瞬間に(四葉も登場か?)と思った人は多いハズ。


一見するとファンサービスですが、実態はそんな優しさとはかけ離れた前作ファンへと吹っ掛けられた喧嘩です。以下、本題です。


・2021年

『天気の子』予報②より

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君の名は。』本編終盤より(写真はブックレットから)

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一応実物(瀧くんのは月曜始まりのカレンダー)

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上記の通り『天気の子』の舞台は2021年夏の東京です。そして、『君の名は。』のラストシーンは瀧くんが就活していた2021年の翌年(あるいはそれ以降)の春、つまり2022年以降です。今作における帆高と陽菜の選択により、2022年以降の東京では春の晴れた日に桜が舞い散ることはありません。

したがって、『天気の子』で変えられた「世界の形」とは、東京の風景とかそこに暮らす人々の生活とかそんな抽象的で曖昧で現実感の持てない他人事ではないです。前作『君の名は。』で瀧と三葉が再会するラストです。「それでもこの物語を肯定し、帆高と陽菜を祝福出来るのか?」という問い掛けこそ、監督の「賛否両論」なのではないかなと思います。

セカイ系のボーイミーツガールと対立するのは世界ではなく別のボーイミーツガール 。 そういうことなのではないでしょうか?最初はギャルゲ論評のトゥルーエンドとかルート分岐とかギャグだと思ってましたが、理詰めで時系列等を考察した結果同じ結論に達して似たようなことを書いていることに驚いています。『君の名は。』本編では2022年の東京が雨に沈んでいないため帆高は陽奈を取り戻す事が出来ておらず、『天気の子』本編では2021年夏以降の東京は雨に沈んでいるため瀧と三葉はあのシチュエーションで再会しません。両作のハッピーエンドが両立することは無いんです。

 

 

ただ、私は自分の考察の科学考証を信じるので、何があっても2人の縁は結ばれると信じています。


凪くんの記事はこちら↓

http://ker-cs.hatenablog.com/entry/2019/07/20/204210

君の名は。』の考察記事はこちら↓

http://ker-cs.hatenablog.com/entry/2016/10/03/012649

『天気の子』-凪くんが支持される理由を新海誠監督の少年観と共に考察する-

ker-六連星手芸部- on Twitter: "細田守監督と新海誠監督は、家族観や女性観よりもショタという存在に対する認識が決定的に違うと感じられたので、誰か御二方の対談をセッティングして欲しい。多分、取っ組み合いの喧嘩になる。"


えー、最初は『天気の子』の感想、考察記事の小ネタの一つとして凪くんのコーナーを設けようと考えていたのですが、上記のツイートをしたところ何故か(?)割と伸びてしまいまして、これに関して考察していくうちに別記事にしないとバランスが取れないという結論に達しました。

まあ、自分で言っておいて比較対象とする意味はあまり無いですし、私はショタについては専門外なのであまり詳しくはないのですが、今作で新海誠監督によって描かれたショタこと凪くん、ひいてはそれを通した監督の少年観について色々と考察してみようと思います。


①凪くんって何歳なの?

パンフレット買えてませんごめんなさい。というわけで劇中の描写から推測します(※1追記 フォロワーさんから情報頂きまして、パンフにも年齢設定の記載が無いそうです)。

凪くんが所属するサッカークラブ(経済状況の事があるので助っ人かもしれません)は劇中の描写を見る限りではおそらく男女混合です。詳しい内訳はスポーツ全般に詳しくないので推測ですが、高学年になる頃には身体能力に男女でどうしても差が開いてしまう関係上、混合チームになるのはおそらく低〜中学年、どれだけ高くても9〜10歳くらいの年齢だろうと思われます。


②「一緒にお風呂入ろう」からわかる事

確か実際のセリフでは「3人で(お風呂に)入ろうよ」と言っていたかと思いますが、このセリフはシンプルながら色々な意味合いが含まれていて、実は結構深いんじゃないかと思うのです。下記に列挙します。


⑴普段からお姉ちゃんと一緒にお風呂に入っている

⑵帆高と陽菜と3人で一緒にお風呂に入ろうとしている

⑶後々にアヤネちゃんから衣服を借りる時のやり取りの伏線


とまあ、ざっくりこんな感じかなと思います。

まず⑴に関しては、①の考察の通りの年齢ならままある事だと思いますが、同時に、前半で陽菜がカイワレ大根やネギを自家栽培していた事を補強する意味もあるかと思います。つまり、節水する必要があるために姉弟で一緒に湯船に入っている可能性が高いです。そして、お母さんも早くに亡くなっているため、それより幼い頃から陽菜が凪くんの身の回りのお世話を引き受けていた可能性が高いです。※2

次に⑵に関してですが、帆高から恋愛の師匠と呼ばれる凪くんが2人の関係を進展させるためにアシストしたのでしょうか?しかし、そうするとリアクションが妙です。凪くんの提案に対して「2人で入って!!」と(確か)※3追記 コメント頂きまして「1人で入れ!!」が正しいようです(まあでも、その他考察より姉弟で一緒に入ってはいるんじゃないかな?)。帆高と陽菜をからかうでもなく、「じゃあ帆高、一緒に入ろうぜ」とあっさりと引き下がっています。(姉ちゃんとはいつも一緒に入ってるし、兄ちゃんと入ってみるのも楽しいかな)くらいの反応に見えます。これ、話はもっと単純で、凪くんは帆高と陽菜が一緒にお風呂に入っても問題無いと思っているのではないでしょうか?これは⑶とも繋がる内容ですが、お風呂から話が脱線するため次項に記します。


※2 いつも一緒に入ってるなら陽菜の異変に気付くんじゃないか?と、これを書きながら思いました。実際は一緒に入っていなかったか、異変が急激に悪化したかのどちらかだと考えられますが、体調の悪さに言及があったのは依頼の最後の方なので、後者有力で騙し騙し隠してきたのではないでしょうか?本稿ではその前提で記します。


③性別の未分化

リアクションについては姉弟と同年代の友人(?)とでは全く違うと思いますが、凪くんがお姉ちゃんとお風呂に入る事を気にしないくらいには子どもっぽいのに対して、⑶について、同年代(厳密には元カノ)の女の子は着替えの時に「あっち向いてて」とがっつり断りを入れてきましたよね?もっと踏み込んで言うと、凪くんが最初に自主的に振り向かなかったためにこの発言に至っています。デリカシーが無いとか元カノだから見慣れてる(!?)とかそういう話ではなく、おそらく、性的に未分化な段階にいるのではないかなと思われます。凪くんは女の子を女の子として、勿論好いてるんだと思うんですよ。プレイボーイでキザったい事言ってた割にはお姉ちゃん想いで物腰柔らかいですし、元カノといっても決してぞんざいには扱ってないです。名前に反して修羅場ですが。ただ、夏美さんを意識しまくる帆高とは明らかに違いますよね?この思春期の少年性と差別化された、性的に未発達で未分化な少年性が凪くんを構成する特徴の一つかなと思います。


新海誠監督と細田守監督の少年観について

さて、最近の新海誠監督の描く少年の傷って、やんちゃしてほっぺや鼻に絆創膏貼ってるのをお姉さん(実際に歳上かは問わない)に優しくされたりからかわれたりしたいという少年心のメタファになっているように個人的には思います。対して、細田守監督の描く少年の傷は、見えない服の下(もっと言うと心の奥底)の生傷やアザが薄暗い浴室で膝を抱えながら湯船に浸かっている時に、白い細腕や背中に露わになるような雰囲気を纏って描かれていると思うんですよ。


…いやまあ、ホントかよって感じですが。佳主馬も雨も九太も、なんかこういうイメージありません?


ありきたりな言葉で表現するなら、前者は文字通りの子供っぽさを含むのに対し、後者は少年の影を描いているように思います。だから、両者の描く少年性が互いを超えるとか超えないとか無いと思うんですよ。みんなちがって、みんないい。


その中に投じられたのが、今作において新海誠監督が描いた凪くんであり、性的に未分化な少年性や年相応の無邪気さ、ちょっとマセてるけどマセ切れてない子どもっぽさ(女の子の方が発達してる)、母親を亡くしているのにも関わらずお姉ちゃんを想う健気さと、色々と属性てんこ盛りですが、あれくらいの年齢の少年を等身大でかつアニメ的に脚色して魅力的に描いていると思います。こういった要因によって支持を集めているのではないでしょうか?そして、女装のインパクトに隠れそうになってますが「姉ちゃんを取り戻せよ!!」と帆高に最後に感情を露わにした場面、あれが決定打だと思います。母親を亡くしても気丈に振る舞っていた彼が、今度は姉を亡くしそうになった事で隠していた影の部分が露わになったのではないでしょうか?

 

 

『天気の子』本編の感想記事が見当たらない?

何故かこちらが先に書き上がったので、そのうち書けたらアップします。

※4 追記 アップしました。

『天気の子』感想と考察-物語の構成に『君の名は。』を添えて- - 六連星手芸部員が何か書くよ

 

けるさん家の今日のごはん 2019年6月

冷やし中華はじめました

醤油ダレは昆布鰹出汁ベースに鶏チャーシューの漬けダレと醤油、お酢、酒、砂糖、胡麻

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酢トマト

孤独のグルメ』で紹介されてたヤツ。レシピはわからないのでリンゴ酢に砂糖少々

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かぼちゃのスープ

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里芋の煮っ転がし

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カタラーナもどき(冷凍フレンチトースト)

卵液の分量比をプリンの黄金比にしたもの

フライパンで焼く際に水分が飛ぶので、砂糖の量はやや少なめにした方が良い

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ピーマンの肉詰め

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ゴーヤチャンプル

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椎茸の佃煮入りお稲荷さん

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カンパチ大根

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毎月20日はカレーの日 生存戦略一年分

とりはむスープカレー

スープのベースが所謂とりはむ

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夏野菜カレー

茄子とかピーマンとかトマトとか

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ドライカレー

甘々と稲妻』のレシピを参考に

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トマトカレー

普段も使うトマト缶を完全にベースに据えて

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チキンカツカレー

胸肉

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カレーピラフ

カレー粉とブイヨンで炊く

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オムカレー

中のご飯はカレーピラフ

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トマトカレーラーメン

とりはむスープベース

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銀の匙のチーズナンとチキンカレー

ナンは強力粉とヨーグルトベース

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新野菜の春カレー

新じゃがとか新にんじんとか新たまねぎとか

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カレーパン

揚げたてはとても美味しいがとにかく大変

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林檎と蜂蜜のカレー

摩り下ろし林檎の果汁とヨーグルト、カレー粉で鶏肉を漬け込み

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生理用品キャンペーン #NoBagForMe に対する問題提起-そもそも何故おおっぴらにしないのか-

私の観測した限りにおいて賛否両論巻き起こっている「生理用品を隠す袋、いりません #NoBagForMe プロジェクト」に関して、側から見て非常に違和感があったため、そもそもなぜ隠す必要が生じるのかという点に焦点を当てて具体的に書いていきます。


①宗教的な背景

さて、仏教に赤不浄(あかふじょう)という概念があるのをご存知でしょうか?あのWikipediaに単独項目が無いくらいにはマイナーな言葉ですが、ざっくり言えば「出産や月経などの出血を穢れとして扱う」という風習です。差別的だと思われる方が殆どだと思いますし穢れとして扱うという点に関しては私もそう思います。思いますが、そういった風習が文化として存在し、その間に仕事を休まさせられたり隔離されたりしていたのは事実です(現代でも行く所に行けばあるかもしれません)。

※ただし、この点に関しては現代ほど医療設備や技術が発達していなかったことから、体力が落ちている状態で仕事をさせると今以上に危険が伴ったことや感染症の予防のために隔離する必要があった、という側面もあるため不浄という概念と結び付きさえしなければそれほどおかしな対応とは言えません。今風に言えば労働基準法に規定されている生理休暇のようなものだとも言えます。

また、赤不浄とはやや異なりますが、いわゆる霊山と呼ばれる山が江戸時代頃までは女人禁制であったのも同様の風習と言えます。その他、女性と血に纏わる信仰には現代に至ってなおかなりエゲツない話もありますが、話が逸れるのでここでは割愛します。

いずれにせよ、表題の問題は昨今の教育や倫理観を発端としたような日の浅い価値観ではなく、非常に根深い問題だという事が伝わればと思います。個々人の善悪観や価値観を超えて、何百年も昔から信仰している人は信仰し、継承している人は継承している概念というわけです。


②生物学的な背景

生理時の身体への負担を列挙すると、


・出血による貧血

・生理痛

・ホルモンバランスの変調による心身および精神の不調(ここでいう精神は神経や脳機能です)

・それらに伴う体力や免疫の低下


などが挙げられますが、一口にこう言っても個人差がありますよね?そもそもの体力が個人によって異なりますし、痛みの感じ方の程度(我慢出来るかどうかではなく脳機能としてどの程度の強さとして処理されるか)もマチマチです。ホルモンバランスが大きく崩れ精神的に非常に不安定になる方もいれば、さほど影響を受けずにストレス耐性がやや低下するくらいで済むという方もいるでしょう。つまり、同じ生理という言葉を扱っていたとしても、それが内包する様々な数的な尺度は個人によって全く別物だという事です。一概にそうだと決め付けるわけではありませんが、生理用品について大っぴらに出来るという方はこういった尺度の値が他の方よりも低いのかもしれません。言い換えると、そういった情報を他者に開示したとしても、自身の生命を脅かす事態は生じないと考えられる程度には健康な状態が損なわれていないのかもしれません。この点に関してピンと来る方と来ない方がいると思いますが、一言で言えば、弱っている自分を表に出さない事は生物としての生存戦略だという事です。

生理用品について「絆創膏やトイレットペーパーのような物」と捉えられる方がいる事は事実だと思いますが、もう一方では「松葉杖や生命に関わる常備薬」くらいに考えている方もいるのではないかと思います。そういった物を必要としているくらいには弱っている、という情報を他者に開示するのは生物としては致命的ですが、この心情に共感出来る人と出来ない人がいるのではないか、という事です。この危機意識の差は、生理や生理用品といった表面的な言葉を扱っているだけではなかなか埋まらないのではないかと思います。


③社会的な背景

まず、結論から言います。この企画は生理用品を奇異の目で見る第三者の存在に対して全くの無力ですよね?好奇心の目で見る学校の同級生、大っぴらにする事をはしたないと噂話を広める近所の誰か、男女を問わず性的嗜好として扱う人達、企画なんか知ったこっちゃないというこれらの第三者に対して全くの無力です。社会的な背景と書きましたが、具体的には、発達段階が以前よりも早まっている事による教育の遅れや、前述の宗教的な背景を発端とした生理を忌むものとして扱う文化(とまでは行かずとも、なぜそういう風習なのかすら忘れられて結果だけ残った隠すべきという漠然とした価値観)、そして、ゾーニングも何も無しに生理に関するあれこれを性的嗜好として扱いSNS等で垂れ流す人達(男女問わず、です)がいたりと、そんな状況で大っぴらにしたら様々な弊害が生じる事が予想されますよね?”私が“どう行動するかは他者に危害を加えないのであれば自由だと思いますが、”あなたが“どう行動するかについては、その理念を尊重してくれる保証なんて無いという事です。企画に巻き込む対象として考えていた相手でさえ賛否両論巻き起こった事で、企画された方々はこの点を痛感されたのではないかなと思います。


つまり、社会的に未成熟な土壌にデザインだけ変えて挑んだとしても、①②も含めた根本的な問題は何一つ解決してないままだという事が言いたいわけです。その辺りを深く考えた長期的な展望があるのかが非常に曖昧だなと思いますし、本気で取り組みたいというのであれば、やはり歴史的な背景や生物学的な背景に関わる統計的な資料とにらめっこしてもっと根本的な問題を解決する事は避けては通れないと考えます。


以上

『海獣の子供』シナリオ、設定の解釈を盂蘭盆の行事から試みる

本記事は映画『海獣の子供』についての個人的な解釈を記したものであり、一般的な感想や考察、解説とは趣が異なります。また、実際に原作の元となった神話や伝承とも異なる内容、理解です。予めご了承下さい。

 

①劇場版あらすじ

ハンドボール部に所属する琉花は、夏休み初日の部活の模擬戦で他の部員とトラブルになり部活禁止を宣告される。昼間から缶ビールをあおる母親がいる家に帰る気も起きず、彼女は別居状態の父親が勤める水族館へと足を運ぶ。光となって消えたクジラを幼少期に目撃した思い出の水族館で父親を探す琉花の前に、水槽の中を自由に飛び回る少年“海”が現れる。ジュゴンに育てられたという彼は琉花に興味を示し「ヒトダマが来る」と彼女を夜の海へと誘い、二人は海へと落ちる流れ星を目撃する。一方、海と同じくジュゴンに育てられた少年“空“は、病院での検査を終え海と同じく水族館へと身を寄せる。三人は台風の日に離れ離れになりながらも交流を深めるが、新月の夜に“空”は琉花へと隕石を託し光の泡となって海へと消える。それ以来言葉を失ってしまった“海”だったが、琉花と共に魚たちの群が目指す海洋へと向かう。そして、巨大なザトウクジラに琉花が飲まれた時、海の祭りが始まった。


意図的に相当端折って書いてますが、ざっくりとこんな感じだったと思います。祭りを狙う各国研究機関とかも出て来ますがその辺はあまり要点ではないというか、本筋はあくまで、海と空が何者であり彼らに琉花がどう関わるのか、そして、祭りとは何なのかにフォーカスを当てて観た方が没入出来るかなと思います。


②海と空は何者なのか

劇中で語られた内容を列挙すると…


・10年前までジュゴンに育てられていた

・非常に乾燥に弱く長く地上にいられない(海は徐々に適応出来たが空はこれが顕著)

・おそらく短命

MRIやレントゲンなどの検査によれば普通の人間と変わらない

・皮膚が発光する現象が見られるが、上記の通り身体にそういった組織は無い


概ねこの様だったと思います。そして、海と空に限った話ではありませんが、劇中で空は「人間と宇宙は似ていると思う」と語っていました。また、この話と前後して「宇宙を構成する物質の90%は暗黒物質という未知の物質であり、人間は宇宙について殆ど知らない」という旨の内容が語られます。つまり、これらの話を統合すると「人間は人間を構成するモノについても殆ど知らない」となるのではないかなと思います。言い換えると、検査の結果として海と空は普通の人間とされましたが、それはあくまで人間が把握している10%について一致しただけであり、実際にはその他90%の部分については普通の人間と同じではないとも言えるのではないでしょうか?


海から来た二人が本当は何者なのか。劇中ではそれは明言されませんが、私個人の連想としては水子(みずこ)が思い浮かびます。水子とは、流産や中絶で死亡した胎児を指し、その語源は日本神話に登場する生まれて間もなく海へと流された神「水蛭子(ヒルコ)」であるそうです。この響きは主題歌である「海の幽霊」のイメージとも合致しますし、後述の祭りについての解釈にも符合するものでした。


③祭りとは何なのか

劇中で海は隕石のことを当初「ヒトダマ」と言っていました。また、祭りに際しておびただしい数の海の生き物たちが光をまとって(刺激を受けると発光する微生物)集まっていました。夏に光をまとって集まる祭り事というと、私は盂蘭盆を指すのではないかなと思います。

まず、物語の始まりの日である夏休みは一般的に7月20日から開始され、この日付は盂蘭盆と一致します。そもそも盂蘭盆とは何なのかという話になりますが、一般的には先祖の霊を供養する行事であり詳細な内容は地方によっても様々です。先祖の霊を迎える、あるいは送り出す為の道標として火が灯されるわけですが、本作における道標は隕石、発光する海、天の川、光の泡となって消えた空と、様々なモチーフで表現されていた様に思います。

そして、この物語における盂蘭盆の行事としては、私は御招霊(おしょうれい/おしょうらい)の内容が描かれたイメージと一致しているのではないかなと思います。これは、先祖の霊を迎える際に迷わないよう川縁で灯をともす行事ですが、同時に、前述した水子を迎えて供養する行事でもあります。


本作はこの御招霊を地球規模で行った様を描いているのではないか、というのが私の『海獣の子供』に対する解釈です。

けるさんちの今日のごはん 2019年5月

おいなりさん

仙狐さんを観て食べたくなったので

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ササミのアヒージョとオニオンコンソメスープ

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出汁茶漬け(鮭そぼろ、おかか、ほうれん草)

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ふつうのナン

手抜きのナンの方が美味しかった

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つくね豆腐ハンバーグ

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ジャム瓶焼きプリン

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天ぷらのおいしい季節

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ガーリックトースト

アヒージョのオイルで

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毎月20日カレーの日

生存戦略カレーパン

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ドライカレー

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と、併せて作ったクリームパン

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味噌タンメン

肉と野菜を浅漬けにし鶏ガラベースの味噌スープでクタクタになるまで煮込んで麺と合わせる

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サバの味噌煮

実はこの料理、味噌ダレで煮込む料理ではなく、サバに火が通ったら鍋から下ろし味噌ダレだけを煮詰めて餡掛けみたいにするのが正解

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麻婆茄子

茄子の棘が痛い、つまり新鮮な季節

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ハンバーグ

米粉を繋ぎにするとしっとりする…気がする

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和風ロールキャベツ

鶏大根の残った出汁で

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鯵のムニエル

(タルタルソース作り忘れてお醤油で)

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