「楓さん、あまり根を詰め過ぎるのも良くないですよ?」
「今は、こうして手を動かしていたんですの」
そうさく倶楽部の部室を貸してくれた六角汐里さんの心配する声に対し、私は手元から視線を動かさずに言葉だけを返した。夢結様が発端となって始まった梨璃さんの髪留め探しは、しかし、私が砂浜で黒焦げのそれを見付けてしまった時点で頓挫してしまっていた。勿論、そんなことを梨璃さんや他のみんなに伝えるわけにもいかず、私はこうして夜な夜な工作活動に勤しんでいた。
「部屋に……、戻りたくないんですね?」
「はっきり言いますわね」
核心をつかれた事で、私は苦笑しながら今度こそ汐里さんに向き合った。もっとも、彼女に悪意なんてものは欠片も無く、それは私を心配しての言葉であるのは分かっていたが。
「すみません……。そんなつもりじゃ……」
「いえ、いいんですの。本当のことですわ。勿論、一刻も早くこれを梨璃さんに届けたいという気持ちに偽りはありません。でも……」
でも、こうして何かに没頭していた方が気が紛れるというのも誤魔化しようの無い事実だった。
「では、私に話して下さいませんか?」
「いいんですの?楽しい話にはなりませんわ」
「勿論です。私も……、彼女に命を救われましたから」
そう言って少し目を伏せた汐里さんを見て、私は申し出を受け入れようと決めた。
「では、お言葉に甘えさせて頂きますわ」
そう言って私はポツポツと、いなくなってしまったあの子のことを汐里さんに話し始めた。“じゃあ楓、先に行くね。梨璃と約束があるから”、そう言ってあの部屋を出たっきり、もう二度と帰って来なかったあの子のことをーーー。
『ルームメイト』
「ーーーところで、結梨さんってこれまでは医務室で過ごされていたんですよね?」
「うん、そうだけど」
「退院したこれからは、どこで生活するかは決まってるんですか?」
既成事実が積み上げられていく現状を目の当たりにして頭を抱えている私を他所に、ちびっこ一号が至極真っ当な疑問を呈した。
「私、梨璃と一緒じゃないの?」
モゴモゴとスコーンを頬張りながら、当然そうだろうというニュアンスで結梨が言った。夢結様が“食べながら喋るのはお行儀が悪いわ”と、おしぼりで彼女の口を拭いてあげているが、この方はいつの間にこんな所帯染みてしまったのだろうか。
「もぉ、結梨ちゃん。言ったでしょ?これからは百合ヶ丘の生徒になるんだから、寮に入って違う人とも生活するって」
「梨璃、ない……」
自己紹介の件といい、梨璃さんに依存しているようで案外話を聞いていない、事情が事情なので仕方ないのかもしれないが、抜けたところがあるというより子供っぽい方だなと思った。
「つまり、まだ具体的には決まっていないのね?」
「はい……、申請は出してあるんですけど、この時期に手の空いてる生徒はなかなかいないって」
「百由はともかく、祀さんにしては手際が悪いわね……」
夢結様のあんまりな隣人の評価に苦笑しつつ、今度はちびっこ二号がこう言った。
「だったらわしらでアテを探すかの?とは言え、工廠科はみな工房を兼ねた個室じゃが」
埋まらないものは埋まらない、それでもどうにかするしかないとは夢結様の言だが、生徒会が手を回してどうにかなっていないことをどうしたら埋められるのだろうか。
「結梨ちゃんの事情を知っていて……」
「面倒見が良くて……」
「部屋に空きがある……」
多少の例外はあれど、百合ヶ丘では高等部からの新入生に対し生徒会役員候補の生徒の同室が充てがわれることが慣例となっていた。つまり、そうした生徒は入学時点で既に誰かの、例えば梨璃さんやちびっこ一号と同室になっているため、この時期に候補が見付からないのは当然と言えた。
「「「じー……」」」
そうして思案していると、みんなの視線が一斉に自分に集まった。
「皆さんお揃いの顔をされて、なんですのいったい?」
そんなに熱い視線を送られたところで、残念ながら自分は梨璃さん以外の想いに応えることは出来ない。
「そうね、一柳隊には楓さんがいるわ」
「さすが楓さんは頼りになります」
「楓さんが適任ですね」
「うん、楓がピッタリだと思う」
「灯台下暗しじゃの」
私が所信表明を行う前に早くも事態の評決が取られようとしていた。
「わたくしですの!?」
「だって楓の部屋って一人住まいのクセに無駄に広いじゃんカ。それにお前首席入学だロ?」
「無駄!?あれは梨璃さんのために用意したものでしてよ!!」
「だったら今回もカードの切り時だろ」
既に満場一致での決議の様相を呈している中、私は縋るような思いで梨璃さんの方を振り向いた。
「うん!!楓さんなら安心だね!!」
「梨璃さんまで……」
本当に安心し切った梨璃さんの満面の笑みにクラっとしながら、私はその場に膝から崩れ落ちた。
「私、楓と一緒に一緒に暮らすの?」
「そうだよ結梨ちゃん。楓さんの言うことをしっかり聞いて、この学園とリリィについてお勉強していこうね」
「うん。梨璃、私もみんなみたいなリリィになるよ。楓、よろしくね」
梨璃さんがそう決めてしまった以上はもはや自分に拒否権は無く、こうなったからには私は腹を括ることに決めた。
「ああもう!!こうなったらみっちり鍛えて差し上げますわ!!ーーー」
ーーー結梨は、まるで乾いたスポンジが水を吸うように、リリィとしての才能をどんどん開花させていった。マギの操作への順応も、見取り稽古による身体の捌き方の学習も、つい先日リリィになったばかりであるとは思えないものだった。一方の座学では、私が多くの科目を向こうで履修済のために免除されていることもあり、顔を合わせる機会が無く、それによって彼女が同じクラスに編入されていたことに一週間も気付かなかったわけだが……、とにかく、チャームを手にしてからのごく短時間で、あの百由様のヒュージロイドを撃破するにまで至ったことは驚愕だった。
そうして競技会が終わり、結梨は今日も梨璃さんが使うハズだったベッドに寝転がって模擬戦でくたった身体を休めながら、しかし今日は唐突に思いも寄らないことを聞いてきた。
「ねぇ楓、楓はどうして梨璃のことが好きになったの?」
「な、ななな、なんですの藪から棒に」
私は口に含んだ紅茶を噴き出しそうになるのを堪えながら、やっとのことで言葉を返した。恋バナを始めるにあたっての情緒もシチュエーションもあったものでは無い。
「んー……、だって楓のにおい、梨璃への好きで溢れてるから」
「前にもそんなことを言ってましたけど、貴女の言うにおいって、つまりはマギのことを言ってるんですの?」
「……そうなのかな?」
「わたくしに聞かれましても……」
結梨のレアスキルはまだ百由様が調べている最中で確定していなかったが、もしかすると何か探知系のスキルを無意識のうちに使用しているのかもしれない。
「ま、それはわかんないんだけどさ、楓が梨璃のことを想ってるのは伝わってくるよ。どうして?」
経験上、これは答えないとずっと同じことを聞かれるなと思った。もっとも、ことの経緯はちびっこ一号がリリィ新聞に書いて周知の事実であるため、殊更隠すようなことでも無いのだが。
「梨璃さんはわたくしの命の恩人ですのよ。梨璃さんと初めて出会った入学式の日、梨璃さんはヒュージとの戦いの中で、御自分の身の危険も顧みずにわたくしのことを守って下さいましたの」
「助けてくれたのが梨璃じゃなくても楓はその人を好きになったのかな?」
結梨はサラッと恐ろしいことを聞いてきた。
「そんなことを考える暇があったらわたくしは梨璃さんに想いを馳せますわ。梨璃さんだから運命を感じたんです。他の誰かだったらなんて考えられませんわ」
「そうなの?」
「そうですわ。ですから、梨璃さんの身に何かあれば、例えこの身に代えても……」
そこまで言いかけて、でも言えなかった。もし自分がそんなことをしたら、彼女はきっと怒って泣いて、そうして心を傷めてしまうと知っていたから。
「だったら、私と一緒だね」
しかし結梨は、まるでそれが自明だと疑わず、あまりにも臆さずに言うものだから、私は少々面食らった。
「確かに貴女を保護したのは梨璃さんですけど、なんだか大袈裟じゃありません?」
「そうなのかな?でも、私がここにいられるのは梨璃が私を見付けてくれたからだって、そう思うから」
私がその言葉の意味を、結梨と梨璃さんの繋がりを知ったのは、全てが手遅れになった後だったーーー。
ーーー私は、いったいどこで間違えたのだろうか……?
お父様に結梨の身元の捜索を頼んだ時?リリィの戦い方を教えた時?梨璃さんを守る決意を宣言した時?ルームメイトを引き受けた時?それとも……。
考えても考えても、答えは得られそうもなかったーーー。
「ーーーぇでさん、楓さん、今日はもう、ここまでにしませんか?」
「え……?あ、汐里さん……?今は……」
そうして仰ぎ見た時計の針は、既に日付を越えようとしていた。酷く喉が渇いていた。
「門限破りどころではありませんわね……」
「見付からないように戻らないとですね」
彼女はそう言ってイタズラっぽく笑った。
「生徒会の役員候補生さんがそんなこと仰って良いんですの?」
「門限より大事なことがありますから。結梨さんのこと、お話してくれて、ありがとうございます」
御礼を伝えないといけないのは私の方なのに、そう思って、私は軽く首を振って見せた。
「明日も……、と、もう日付が変わってしまいましたわね。また、ここに来て……、その、話をしても構いませんか?」
「ええ、喜んで。待っていますね」
彼女は、はにかんでそう答えた。