六連星手芸部員が何か書くよ

基本的には、ツイッターに自分が上げたネタのまとめ、アニメや漫画の感想、考察、レビュー、再現料理など。 本音を言えばあみぐるまーです。制作したヒトガタあみぐるみについて、使用毛糸や何を考えて編んだか等を書いています。

「LGBTの自殺は本人のせい」「同性愛は精神障害か依存症」報道に関する問題と世論との乖離について

LGBT含め性別とは何かという3軸評定に関する個人的一考察 - 六連星手芸部員が何か書くよ

私の基本的な見解は上記です。併せて参照して下さい。

 

 

LGBTの自殺は本人のせい」という要約について

問題とされた資料の原本が下記になります。報道では自民党が主張していることになっていますが、実際には神道に関わる宗教団体が配布した「キリスト教の牧師兼研究者の主張」です。主張内容は精神医学や心理学に照らせば滅茶苦茶もいいところですが、キリスト教という宗教(キリスト教に限った話ではないです)が絡んでいる以上、誤解や偏見、差別といった言葉で済ませられるようなそう単純な話ではありません(後述します)。ただ、少なくとも「LGBTの自殺は本人のせい」という記述はありません。これは記事を書いた活動家(本人がそう自称しているので)の要約です。「書いてあることを要約すればそうなるだろ」と頑なに主張されている方もいますが無いものは無いです。その要約の原因として政治的、差別的、宗教的、いかな背景があるかは知りませんが、「LGBTの自殺は本人のせい」は間違いなくあなたの口をついて出た言葉です。この要約に賛同している政治家も多数いるようですが、率直に言って人としてどうかと思います。                             

機関誌「意」No.215 (令和3年10月1日発行)

「同性愛と同性婚の真相を知る」他

http:// https://www.sinseiren.org/booklet1.html

 

そもそも精神障害/精神疾患とは

先に断っておくと精神障害精神疾患は殆ど和訳の問題で意味は同一です。臓器や四肢の病気や怪我を身体障害や身体疾患と呼称するのと同様に、脳の病気や障害をこう呼びます。精神というと「心」と同一のモノとして連想する方が根強く多いですが、精神障害と心理障害は別個として扱われます(境界が曖昧という指摘は甘んじて受けますが)。今でもよく、うつ病は気の持ちようとか我慢が足りてないとか理不尽なことを言われることが多い世の中ですが、うつ病は種々のストレス等によって脳の機能が変容して起こる病気であり本人の気の持ちようでどうにかなる問題ではありません。骨折や胃腸炎が気合だけでは治らないのと同じことであり、脳内の神経伝達物質の異常を念じただけで修正できるなら誰もメンタルの問題で苦労しません。

※この手の話で参考資料にWikipediaを持ってくるのはどうなのか?と思われる方もいるでしょうが、DSM(世界共通の精神障害の診断マニュアル)やICD(WHOで用いられている障害や病気のマニュアル)をそのまま引用して概要が書かれている点においてマスコミのいい加減な記事より遥かにまともです。ソースを当たりたい方は各々で各記事に記載されている各専門機関の論文や報告書を読まれると良いと思います。

精神障害 - Wikipedia

 

性別違和や同性愛は精神障害なのか

さて、「同性愛は精神障害か依存症」という文言についてですが、先に挙げたDSMやICDの「性的指向」という項目に同性愛は記載されていますが、同時に(※精神障害ではない)と現在では注釈されています。昔は精神障害の区分でしたが色々な知見が集まった結果として改定されました。これを読んでいる方はこの機に知識をアップデートして頂ければと思います。結論としては要するに「その人が何を好きでも良いじゃん」って世界共通の精神障害の診断マニュアルに書いてあるわけですね。

じゃあなんでマニュアルから削除されないんだと思う方もいるかもしれませんが、医療者にとっては「こういう診断基準がちゃんとあった上であなたが何を好きであっても障害ではないですよ」と言える根拠になる点で有益であり、自身は障害なのではないかと悩むクライエントにとってもそれを取り除くツールとして働きます。ただし、障害ではないといっても最初に示した見解の中で「日常生活や社会生活、人間関係を営む上で、自身が抱える身体的、心理的、精神的な状態が、それらに支障をきたすような場合」において社会的支援の対象となりえると記しましたが、これは同性愛を含む性的指向においても例外ではありません。例えば、小児性愛である人がその性的欲求を解消するためにラブドールを使用しているという話が度々炎上していますが、そうした世間の心無い誹謗中傷によって精神を病み、病院を受診する方もいるわけです。また、本人の意思での性的指向ではなく、例えば性的虐待や強姦によって異性が恐怖対象となった結果として、後天的に同性にしか心を許せなくなったというケースもあるわけですが、そうしたケースを無視して「同性愛は依存では無い」と言い切るのは無知から来る誹謗中傷だと思います。

さて、状況を説明するために話が前後しましたが、性別違和(と、最新版のDSMに書かれている性同一性障害の同義語)についてですが、こちらはDSM、ICDの両方で精神障害の一種として定義されています。これについて「性別違和を病気扱いするな」と憤るのは簡単です。そうした声が世界中で高まれば、あるいは性的指向のように精神障害の診断から外れるかもしれません。しかし、自身の身体と精神の性別の不一致に悩み苦しんでいる方々がいるのもまた現実であり、それに対応して解決を目指すのが医学の役割です(前述の通り、別にその状態で日常生活困らないという方もいますが、勿論それはそれで良いんです)。近年では性転換手術やホルモン治療等が可能になっていますが、まだまだ保険制度の適応が追い付いていません。病気ではないと外野が騒ぐのは勝手ですが、そうした社会運動の結果として性別違和が精神障害のカテゴリーから外れ、その延長として保険適用を完全に外される方向に舵を切られ当事者の方々が多大な不利益を被った場合、活動を展開していた方々は最近どこかで聞いたような「そこまでするつもりはなかった」と無責任なことを言って状況を投げ出すのではないでしょうか?

性同一性障害 - Wikipedia

性同一性障害に関する診断と治療のガイドライン(第 4 版改)

https://www.jspn.or.jp/uploads/uploads/files/activity/gid_guideline_no4_20180120.pdf

 

宗教と精神医学

本件の発端がキリスト教牧師の見解である点において差別等で済ませられる問題では無いと前述しましたが、理由は色々あります。

まず、医学と宗教とでは「○○という問題があるのではないか」という疑問に対して集められるサンプルにおいて偏りの差が非常に激しいです。どういうことかというと、医学に集積される知見は主として病院や大学等の研究機関、行政の家庭支援センターや児童相談所等、広く一般的に病気や障害で困っている方々についてです。一方で宗教、今回はキリスト教ですが、教義によっては同性愛を罪として扱ったり、輸血を必要とする医療行為を地獄に堕ちる悪行とまで言い切ったりするところまであるくらいです。懺悔というと伝わりやすいかもしれませんが、教会には告解室と呼ばれる相談室のような施設が設けられており、教会の信者はここで自身の罪を告白するわけです(基本的には匿名、互いに顔を合わせず声だけでやりとりするところもあるそうですが、全容は把握してないです)。罪の告白といっても誰かを山に埋めてきたとかそういう話ではなく(なくもないらしいですが……)、前述したように教義に反して同性を好きになってしまったとか、輸血に頼ってしまったとか、そういう話も含まれるわけです。それが良い悪いという話ではないのですが、宗教の外と中とでは同じ基準で話をしてないんですよ。

次に、告解室の守秘義務の問題があります。それは医療でも同じでは?と思われるかもしれませんが、精神科や心療内科、カウンセリングセンター等の機関では、治療者が他の専門家や機関と連携した方が治療や問題解決に有益だと判断した場合、守秘義務の範囲をやや広げて連携を取って対応するのが一般的です(チーム内守秘といいます)。逆に言えば「全部自分に任せてね」と言って抱え込んでくるようなタイプの人は(ん……?)と思った方が良いかもです。閑話休題。一方の告解室ではこの守秘義務の問題が例えば性的虐待等の犯罪に絡んだ場合にネックとなり、状況を知りつつ他の専門機関に通報しなかったとして裁判に発展した事例が多いです。そうして閉じた、あるいは偏った知見に則った主義主張だということは念頭に置いて俯瞰しないと意味が分からないだろうというのが私の見解です(全ての宗教がそうとは言いませんが)。

カトリック金沢教会 告解室

カトリック教会の性的虐待事件 - Wikipedia

宗教的理由による輸血拒否に関するガイドライン|京都民医連中央病院

 

議員懇談会から差別的な資料を排除しろという論調の危険性

結論から言ってこれはかなり危険です。まずは上記の輸血拒否についてのガイドラインを読んで頂きたいのですが、これはキリスト教の教義の一つ「エホバの証人」に関してのモノです。あなたがこうした価値観を忌避する、しないに関わらず、行政や医療機関はそれに対処する他無いのです。「議員懇談会に差別的な資料を持ち込むな」と言うのは簡単ですが、そうした資料を全て排除して問題が進行しているのを行政が見て見ぬふりをしたり把握しなかったりしたら、実際に対応に当たる現場は大混乱です。むしろ、政治家にはあらゆる宗教や活動団体の知見を集めてもらって有事に備えてもらった方が生活の安全が確保されるとは思いませんか?これは私の偏見ですが、そうした知見を排除しろと言っている人達は、またオウム真理教のようなテロ集団が現れた時に「なんで国は連中のことを把握していないんだ」と文句を言うのではないかと思います。

おそらく世の中の人の大半は「政治家が差別的な資料を閲覧した」と「差別的な意見に賛同した」の区別が付いていないのではないでしょうか?こうした資料を閲覧した中で差別的な意見を主張するようになった政治家を選挙によって排除した方が世の中にとって有益だと思うのですが違いますか?そうしたスクリーニングの機会を無くせというのは、その人の人となりを知る機会をその分失うということです。もし、本件において差別的な主義主張に感化されたり賛同したりしている政治家がいたならば、それを発見出来た点においては意義があったかと思います。先にも言いましたが、「LGBTの自殺は本人のせい」に賛同した人たちは人としてどうかと思います。

 

 

以上