「眠った?」
「ええ……」
泣き疲れて眠るなんて、時々この子は本当に子どもみたいな姿を見せると思った。
「初恋……、なのかな?」
遠慮がちにニカがそう言った。だから、多少の浮気くらい許してあげるって言ったじゃない。
「水星ってこの子の他に子どもいないんだって。だからさ、そうなんじゃない?」
とはいえ、本人にその自覚があるかはわからない。それとも、今日みたいな日のことを思い返して後から自覚するモノなのだろうかーーー。
ーーースレッタに門限までには帰るように釘を刺し、私は地球寮に戻りヤギの餌の世話をしていた。しかしそれから小一時間も経たないうちに、デートに出掛けているハズの彼女から端末にコールが入った。
“約束の時間を過ぎてもエランさんが来ないんです……!!“
更に付け加えると、コールもメッセージも不通で連絡が取れない。何かあったんじゃないか。と、今にも泣きそうな声でそう伝えられた。
私はあのマネキン王子に文句の一つでも言ってやろうとコールを掛けた。だが、確かに全く繋がらなかった。どうやら只事では無いと考えた私は、地球寮のみんなに事情を説明しスレッタの元に戻った。
私がスレッタを落ち着けていると、いつの間に連絡先を交換したのか、あのシャディク・ゼネリまでが顔を出し、思い当たるところに声を掛けてみると言ってきた。どんな打算があるのかと問い詰めると、彼は悪びれもせずに”ホルダーの水星ちゃんに恩を売っておいて損は無いからね“としゃあしゃあと言ってのけた。
“お願いしますっ!!”と深々と頭を下げ続けるスレッタに“ボサっとしてないで私達も行くわよ”と発破をかけ、私達は学園中を探し回った。
しかし、そうして門限に至ってもついにエランは見付からず、スレッタはつい今し方まで”何かあったんじゃ。また傷付けてしまったんじゃ“と子どものように泣いていたーーー。
「ーーーそうしてるとさ、婚約者っつーか親子よね」
「は?何を言うのよ……」
チュチュがベッドを覗き込んで茶々を入れてきた。とはいえ、小さく丸くなって眠るスレッタの背中をさするこの状態で反論しても説得力が無い。
「にしてもマジで何なんだよあの野郎。次顔合わせたらあーしが顔に一発入れてやる」
それはまた、スレッタが間に入って怪我をしそうなのでやめて欲しい。
「ジェターク寮のアイツも決闘に連敗して放逐されたって話じゃない?多分、ペイル社がマネキン王子を査問会のためにいきなり拉致ったとかそんなよきっと」
「本人がすっぽかしたとは思わねーの?」
思わず彼を庇う形になってしまったが、実際、私は彼がそうしたとは思っていなかった。
「そういう雰囲気じゃ無かったわ」
「……そうね」
あの時の様子を一緒に見ていたニカがそう応えたーーー。
ーーー翌日、スレッタは一日中上の空だった。
事情を知らない他の生徒達は、昨日はどうだったとかごちゃごちゃ聞いてきて、彼女はその度に顔を曇らせた。“振られちゃったんだぁ?”と無神経な言葉を投げてくる生徒達を追い返しながら、私は、奴らの顔をチュチュに倣って殴り飛ばしたくなる衝動を必死に抑えた。
放課後、今日は真っ直ぐ寮に帰ろうと話していると、スレッタが目を見開きながら今日初めて顔を上げた。
「エランさん!?」
私がスレッタの視線を追うと、教室の入口に立っていたマネキン王子がこっちに気付いて向って来た。彼は、わざわざ教室に残ってまでスレッタに嫌味を言いに来た連中に対し“君たち、外してくれないか?“と声をかけて追いやった。
入口から覗いている連中が何人かいるが、そうして教室の中には私達三人だけになった。
「わ、わたし、ほんとに、し、しんぱい……」
「弁明を聞こうかしら?」
私は、情緒が幼児退行しているスレッタに代わり、彼を問い詰めた。
「スレッタ・マーキュリー、昨日はすまなかった。君との決闘に負けたことでペイル社に連行されて連絡が取れなかった。それで、ついさっき解放されて戻って来た」
彼は、おおよそ私が見立てていた通りのことを話した。
「だ、だ大丈夫だった、ですか?」
「今のところは、ね。だから、改めて約束がしたい」
彼が更に一歩踏み出してスレッタの耳元で何か囁こうというその時、急にスレッタがエランの肩を突き飛ばした。その行動は照れ隠しとか他人の目があるからとかそういう風では無く、明確な拒絶として目に映った。
「あ、あなた……、だ、だ誰、です、か……?」
スレッタが突然訳の分からないことを言い出した。
「はぁ?アンタ何言ってんの?コイツは」
「におい、が……」
「におい?」
「においが……、ち、違い、ます……。この人、エランさん、じゃ、ない……」
私は、そんな馬鹿なことがあるわけ無いと思いつつも、怯えるスレッタの尋常じゃ無い様子に気圧されて彼の方を改めて見遣った。彼は、一瞬だけ考える素振りを見せた後に、まるで蛇の様な目をして悪びれもせずに言った。
「へぇ……、君、わかるんだ」
あぁ……、ここまで露骨な態度を取られると私にもハッキリとわかる。コイツと比べたらあのマネキン王子には氷の君だなんて愛称は全く似つかわしくない。好意も敵意もダダ漏れのあんなに感情豊かだったアイツの瞳は、目の前にいる得体の知れない怪物とはまるで違っていた。
「エラン、さん、は……、ど、どこに、いるん、ですか……?無事……、なん、ですか……?」
「答える義務は無い」
「何よアンタ、決闘に負けた癖に!!決闘のルールは守りなさいよ!!」
あのジェターク社のおぼっちゃまでさえその点は決して履き違えなかった。それをコイツは涼しげな顔で踏み躙ろうとしている。
「さっき彼女が僕は他人だと言ったじゃないか」
「それは……!!」
「スレッタ・マーキュリー、返答はこうだ」
スレッタの耳元に囁く声が微かに聞こえた。
「“鬱陶しいよ、君は”」
「ぇ……ぁ……、っ……ぅぁ……」
いよいよ情緒が決壊してポロポロと涙をこぼし、膝から崩れようというスレッタを私はなんとか支えた。
「アンタよくもっ!!」
今すぐにこいつを殴って涼しげな仮面をカチ割ってやりたい。そう考えるのと同時にスレッタの身体が強張るのを感じた。
「エラン、さん、を、私に……返して……!!」
私は、スレッタの中に、敵意や憎悪といったネガティヴな感情を初めて見た。
「ふーん……、君は、そうか……。スレッタ・マーキュリー、彼にもう一度逢いたければ、せいぜいガンダムに乗り続けることだね」
そう言い残して、エランの仮面を被った化物は踵を返して去っていったーーー。
「ーーーそれで、今日も……」
「ええ……、ホント何なのよあの化け物……」
あの時入り口から覗き見していた野次馬達は、痴話喧嘩だの修羅場だの勝手に盛り上がって事態に気付いていない様子だった。だが、事が事であるため、私は地球寮のメンバーには情報を共有することにした。
スレッタの落ち込み様は昨日の比ではなく、寮に戻ると同時に張っていた虚勢が完全に切れ、今の今まで泣き続けるばかりだった。
「その、クローンってこと?随分昔に禁止されてるけど……。そう、ペイル社を乗っ取る為とか」
「わからないわ……」
仮にそうであるのなら、あの化物はもっと取り繕うだろう。理由はわからないが、むしろ、ペイル社が差し向けて来たと見るのが妥当だと思った。
「ぅ……ん……」
腕の中で寝息を立てていたスレッタがモゾモゾと身を捩って目を開けた。
「少しは落ち着いたかしら?」
「ごめんなさい、起こしちゃった?」
私がそう声をかけたのを受けてニカが言った。だが、スレッタは落ち着いたというよりは、もう泣く気力も無いといった感じだった。
「ひでー顔してるぞー」
実際その通りではあったが、チュチュがデリカシーを突き破って言った。
「私、どう、したら……」
「アンタまたそれ?でもまあ、今日くらいは許してあげるわ」
進めば二つ……、だが、進んで失ったこの子には酷な言葉だと思った。
「ミオリネさんは……」
「何よ?」
「いえ、その……、ミオリネさん、は、優しい……、土の、においがします」
「もう、何を言うのよ……」
本当に、この子はいきなり何を言うのか。
「お前ら、イチャつくなら温室帰れ」
「はぁ!?」
チュチュが吐いた悪態をニカがやんわりと嗜める、そんな私達の喧騒にスレッタが少しだけクスッと笑った。今は、それだけで十分に思えた。
”じゃあ、いなくなったアイツはどうだったの?“
私は、スレッタには聞けなかった。